『2016年2月11日:玉川学園2』
『2016年3月12日:東村山2』
『2016年5月14日:立川・柴崎分水』
『2016年2月11日:玉川学園2』
1月の玉川学園は定員制だったため、2回目を企画しました。ログを取り忘れてしまったので、1月開催時のログを掲載します。コースは1月とほぼ同じなので、ブログの内容も簡略ということで。
まずは玉川学園前駅の東側に。
前回同様、東京都と神奈川県の境界。写真左側が東京都町田市玉川学園、右側が神奈川県横浜市青葉区奈良町。
スリバチの谷に。
谷底は神奈中バスの折り返し場。ここも前回来ました。
造成工事中の小さな階段を上ります。
東玉川学園化石谷公園に。
のらくろ坂。
小田急線を渡り西側に。月見坂を下から。
玉川学園は、多摩丘陵の丘と谷を活かした町になっていることが実感できます。
住宅街の景色。
ベンチで休憩。
急階段。
『2016年3月12日:東村山2』
2015年6月の東村山の企画に続く、2回目の企画。コースは少し変更しました。
西武西武園線・西武園駅からスタート。
駅周辺は狭山丘陵東端の丘の上に位置しているため、北川や前川が流れる谷と丘陵から成る東村山の地形が良くわかります。後で行く廻田の丘が見えました。
西武多摩湖線・西武遊園地駅。
たまたま電車が来ました。
今回は、東京スリバチ学会会長と新潟から路地連新潟の皆様に参加して頂きました。
長く続く村山貯水池(多摩湖)堰堤。村山貯水池(多摩湖)は、1927(昭和2)年に完成した人造湖で、狭山丘陵南側の谷を堰き止めたものです。
堰堤の階段を上る一行。堰堤の上からは遠く東京スカイツリーまで見えます。
写真後方、掬水亭と西武園ゆうえんち。
村山下第一取水塔(手前)と村山下第二取水塔(奥)。村山下第一取水塔は、土木ライターの三上さんが連載している「かわいい土木」でも紹介されてます。こちらをご覧ください→かわいい土木
余水吐きからの放水の勢いを弱める減勢工。減勢工という言葉を「かわいい土木」で知りました。十二段の滝とも呼ばれます。
宅部池。
多摩湖緑地に。谷頭には小さい湧水池があります。
谷頭から上ります。結構きつい。
巡田緑道。この緑道の下には、山口貯水池(狭山湖)から東村山浄水場への導水管が埋設されています。真っすぐで趣きのある道。
歩いていくと、巡田の丘と呼ばれるスリバチビューポイントに出ます。
下見時の撮影ですが、西武ドーム・西武園ゆうえんち・堰堤・前川や北川の谷が一望。
西武西武園線。偶然、電車が来ました。
都立公園の八国山緑地。八国山は、かつて上野・下野・常陸・安房・相模・駿河・信濃・甲斐の国を眺めることができたことに由来します。狭山丘陵の東端にあり、東西に約1.5キロ続いてます。
ふたつ池。上池と下池の小さな溜池です。
いったん八国山緑地を出て、菖蒲園で有名な北山公園と北川に。向こうに見える雑木林が八国山緑地。
正福寺山門と正福寺地蔵堂。地蔵堂は室町時代の1407(応永14)年建立とされ、鎌倉の円覚寺舎利殿とともに禅宗様建築の代表的遺構です。境内には都内最大級の貞和の板碑があります。
弁天池公園。
前川。
また八国山緑地に向かいます。宮崎駿監督のアニメ映画「となりのトトロ」のモデルとなった病院が近くです。
将軍塚。新田義貞が鎌倉攻めの際に、陣を張ったという伝承がある場所です。
久米川古戦場。この一帯は新田義貞の鎌倉攻め・中先代の乱・武蔵野合戦など中世における戦いの舞台でした。
徳蔵寺に行く途中に寄ったパン屋さん。
徳蔵寺板碑保存館。保存館には数々の板碑が保存されていますが、なかでも元弘の板碑は、その銘文から1333(元弘3)年の新田義貞の鎌倉攻めが裏付けられました。国指定重要文化財です。2017年9月撮影。
熊野神社の近くにある、久米川の富士塚。1888(明治21)年に築かれました。
最後は豊島屋酒造さんに。前回に続いてお世話になりました。また機会があったらお伺いしたいです。
『2016年5月14日:立川・柴崎分水』
青梅線東中神駅から多摩モノレール柴崎体育館駅までのコース。
スタートの東中神駅は昭島市。昭島といえばくじらですね。1961(昭和36)年に昭島市の多摩川からくじらの化石がほぼ完全な形で発見されました。アキシマクジラの愛称で親しまれています。
八清住宅。戦時中、陸軍航空工廠の従業員用に建設された住宅街で、市場や浴場、映画館もあったそうです。街路の区割りに当時が偲ばれます。
市立昭和公園。戦時中の陸軍航空廠技能養成所運動場だった所で、戦後になり昭島市が総合運動公園として整備しました。小さな動物園があります。
五日市鉄道の線路跡。五日市鉄道は1930(昭和5)年から1944(昭和19)年まで、現在の青梅線の南側を通っていました。
案内板。
多摩川の方に向かって歩きます。
福島神社。旧福島村の鎮守です。燈籠が新しくなっていました。
福島神社から段丘崖をおります。高低差7m前後の河岸段丘が続いています。
立川市歴史民俗資料館に寄りました。
昭和用水分水。昭和用水は、多摩川の昭和用水堰(昭島市拝島)で取水し、昭島市と立川市を流れる用水路です。室町時代に開削されたといわれ、九ヶ村用水とも呼ばれました。
富士見町団地。
名前の通り、面白い遊具が置かれています。
さんかく公園の様子。
残堀川。残堀川は狭山丘陵の西端、瑞穂町箱根ヶ崎にある狭山池が水源で、その流路はいろいろと改変された歴史があります。ここはもともと根川だった所、1893(明治26)年からの流路付け替え工事で、残堀川と合流することになりました。残堀川は写真奥の立川崖線の上から流れ落ちてくる流路になっています。
立川段丘を流れる柴崎分水。玉川上水分水として1737(元文2)年に開削されました。玉川上水は小平監視所から下流は高度処理水が流れていますが、柴崎分水は玉川上水の松中橋で取水されるため、多摩川の水が流れています。
住宅街を網の目のように流れています。
中央線を越える前の暗渠。
懸樋で中央線を越えます。下見時の撮影。現在は新しく架け替えられたため、このような水の流れは見ることができなくなりました。
案内板。下見時の撮影。
諏訪神社。811(弘仁2)年に信州の諏訪大社を勧請したと伝えられ、お諏訪様と呼ばれて親しまれています。
参道脇にある石碑。奥の石碑は、玉川上水柴崎分水と刻まれています。
立川崖線と残堀川、そして中央線。
普済寺境内を流れる柴崎分水。
普済寺は、中世の武蔵七党の中の西党の一族の立川氏が創建したと伝えられています。写真の土塁が立川氏の館跡といわれるものです。また寺内には国宝の「六面石幢」があります。
沢稲荷。古墳ではないかとも言われます。
沢稲荷の横を流れる柴崎分水。
柴崎分水は、私有地内から青柳崖線の段丘崖を勢いよく流れ落ちてきます。
青柳崖線下の立川公園。公園内を柴崎分水が流れます。
日野の渡し碑。旧甲州街道はここから多摩川を渡り、日野宿に向かいました。
根川緑道から開渠になる根川。右奥には柴崎分水が合流します。
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