当サイトは、多摩武蔵野スリバチ学会のブログ「多摩武蔵野ランブリング」です。ランブリングとは「歩くことが主な目的ではなく様々な趣味をするために歩く」というスリバチ学会に相応しい言葉です。 多摩武蔵野の変化に富んだ地形や景観等の紹介や、多摩武蔵野スリバチ学会のフィールドワークの告知や当日の様子などを投稿していきます。
2019年11月27日水曜日
【イベントのご案内】湧水と織物のまち 八王子 ~浅川・川口川周辺を巡る〜
2019年最後のフィールドワークは3回目となる八王子です。今回は主に『多摩のあゆみ』175号の「特集 多摩の散歩道2ー地形を味わうー」にて取り上げた浅川と川口川周辺に行きます。
八王子は盆地状の地形として知られていますが、今回はその地形を造った浅川を中心とした河川沿いと加住丘陵の南縁を辿ります。段丘崖や丘陵の湧水ポイントを巡り、八王子の織物産業を支えたノコギリ屋根の建物に桑都の面影を感じに行きたいと思います。加住丘陵からは丹沢方面の山並みや天気がよければ富士山の姿も見ることができますよ。
午後スタートの半日開催なので、お気軽にお越し下さい。お待ちしています!
◆ルート(主な予定)
西八王子駅(スタート)→宗格院→南浅川→横川弁天池→浅川(鶴巻橋)→秋川街道脇の湧水(日本機械工業・外から)→川口川→中田遺跡公園→子安神社(中野山王)→浅川・川口川合流地点→名綱神社→小宮公園・大谷弁天池→浅川(浅川大橋)→八王子駅(ゴール)
日程:2019年12月21日(土)
集合時間:12時30分(昼食はお済ませください)
集合場所:JR中央線西八王子駅改札を出た付近
解散場所と時間:JR八王子駅に17時頃
参加費:200円(資料印刷代+保険代)。
※FW終了後の懇親会を八王子駅付近で予定しています。当日に参加の可否をお伺いします。
※参加ご希望の方は、suribachitama@gmail.com までご連絡ください。
途中参加・途中抜け可。小雨決行、荒天の場合は別途お知らせします。皆様のご参加をお待ちしています!
2019年11月23日土曜日
【報告】新潮講座・国分寺篇
11月17日(日)の新潮講座・国分寺篇の報告です。日立製作所中央研究所の公開日でした。
国分寺駅の北側の谷をぐるりと歩きました。カシミール3Dにて作成。
明治39年測図(今昔マップより)。国分寺駅周辺の地形がよくわかります。恋ヶ窪と野川の谷には水田、台地上は桑畑や樹林となっています。1889(明治22)年に甲武鉄道(現在のJR中央線)が、1894(明治27)年に川越鉄道(現在の西武国分寺線)開業しました。
昭和12年修正22年資修(今昔マップより)。国分寺駅から連雀通りにかけての細長く密集した町並みと、駅南や駅西の農村が対照的です。1910(明治43)年に東京砂利鉄道専用線(後の下河原線)が、1928(昭和3)年に多摩湖鉄道(現在の西武多摩湖線)が開業しました。
昭和41年改測(今昔マップより)。日立製作所中央研究所は、1918(大正7)年に建てられた今村銀行の頭取今村繁三の別荘を1942(昭和17)年に買い取ったものです。
国分寺駅北口には変わったマンホールがあります。1955年(昭和30年)に日本初のロケット(ペンシルロケット)発射実験を国分寺で行なったことから設置されたロケットマンホールです。12種類のロケットが描かれたマンホールとペンシルロケット発射60周年記念のマンホールもありますので、是非探してみてください。
現在、発射実験が行われた場所は早稲田実業学校になっています。「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑が正門前にあります。
早稲田実業学校前から市立小中にかけて谷が続いています。見事なスリバチビューです。
反対側から。駅前にタワマンができたためスリバチを強調するような景色になりました。
今日のお目当て、日立製作所中央研究所です(下見時の写真)。
午前10時から午後2時30分受付終了、午後3時までです。
正門から入るとすぐ谷が現れます。この研究所を囲むように二つの谷がありますが、この谷は東側の谷で敷地を北に向かい東恋ヶ窪に続いていきます。谷にかかる橋を「返仁橋(へんじんばし)」または「変人橋」と呼びます。名前の由来はこちらをご覧ください。→ 日立の理念
橋からは谷底を流れる豊富な水の流れが見えました。今年は度重なる台風と大雨の影響により湧水地の水量は多い傾向です。
模擬店コーナーもあります。
大池は野川の水源のひとつです。大池から野川への水門は普段動かしていないそうです。
西武国分寺線とJR中央線をくぐり、野川の流れになります。
大池は湧水を集めてなみなみとしていますが、造られたのは1958(昭和33)年になります。国分寺駅からほど近い所にこれだけの自然が残されているのは驚きですが、これは日立創業者の小平浪平氏の「よい立木は切らずによけて建てよ」という意志を受けたものです。詳しくはこちらを→ 構内の自然
湧水を見るために並んでいます。
その湧水。崖下にある木の根元から、こんこんと湧き出していました。
外に出るには「返仁橋」をまた渡ります。来春の公開日は4月5日(日)と案内がありました。
花沢通りから熊野神社通りに。研究所の雑木林からの谷が続いていく様子がわかります。
恋ヶ窪用水跡。1657(明暦3)年に開削された国分寺用水からの分水です。2017(平成29)年に市の重要史跡となり、西武国分寺線の南側が整備されました。
中世の古道、鎌倉街道上道。鎌倉街道は、日立製作所中央研究所西側の谷を南北に通っています。
谷の東側の崖上に鎮座するのが熊野神社。14世紀前半の社伝に新田義貞と鎌倉幕府軍の戦いにより社殿が焼失したという記録があります。
東福寺。恋ヶ窪伝説に由来する一葉松が植えられています。恋ヶ窪伝説とは『鎌倉幕府の有力御家人の畠山重忠は、恋ヶ窪宿の遊女夙妻太夫と相愛の仲になった。重忠が平家討伐のため西国に出陣している間に、二人の仲を引き裂こうした男が太夫に「重忠は戦死した」と嘘を告げたたため、悲しみにくれた太夫は姿見の池に身投げしてしまった。』という伝説です。太夫の死を哀れんだ村人が植えた松が悲しみのため一葉になったのが、一葉松です。
恋ヶ窪用水。武蔵野線のトンネルに湧き出た水を利用して整備したものです。
姿見の池。恋ヶ窪宿の遊女達が自らの姿を映して見ていたという伝承がある池です。昭和40年代に埋められましたが、1993(平成5)年に東京都の「国分寺姿見の池緑地保全地域」に指定され、1999(平成11)年度に湿地や用水など池周辺が整備されました。
住宅街の周辺には用水の痕跡がところどころに残っていて興味深いです。
左側が日立製作所中央研究所の敷地、JR中央線が野川の谷を越えて走ります。
次回の新潮講座は、12月15日(日)小金井篇です。
国分寺駅の北側の谷をぐるりと歩きました。カシミール3Dにて作成。
明治39年測図(今昔マップより)。国分寺駅周辺の地形がよくわかります。恋ヶ窪と野川の谷には水田、台地上は桑畑や樹林となっています。1889(明治22)年に甲武鉄道(現在のJR中央線)が、1894(明治27)年に川越鉄道(現在の西武国分寺線)開業しました。
昭和12年修正22年資修(今昔マップより)。国分寺駅から連雀通りにかけての細長く密集した町並みと、駅南や駅西の農村が対照的です。1910(明治43)年に東京砂利鉄道専用線(後の下河原線)が、1928(昭和3)年に多摩湖鉄道(現在の西武多摩湖線)が開業しました。
昭和41年改測(今昔マップより)。日立製作所中央研究所は、1918(大正7)年に建てられた今村銀行の頭取今村繁三の別荘を1942(昭和17)年に買い取ったものです。
国分寺駅北口には変わったマンホールがあります。1955年(昭和30年)に日本初のロケット(ペンシルロケット)発射実験を国分寺で行なったことから設置されたロケットマンホールです。12種類のロケットが描かれたマンホールとペンシルロケット発射60周年記念のマンホールもありますので、是非探してみてください。
現在、発射実験が行われた場所は早稲田実業学校になっています。「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑が正門前にあります。
早稲田実業学校前から市立小中にかけて谷が続いています。見事なスリバチビューです。
反対側から。駅前にタワマンができたためスリバチを強調するような景色になりました。
今日のお目当て、日立製作所中央研究所です(下見時の写真)。
午前10時から午後2時30分受付終了、午後3時までです。
正門から入るとすぐ谷が現れます。この研究所を囲むように二つの谷がありますが、この谷は東側の谷で敷地を北に向かい東恋ヶ窪に続いていきます。谷にかかる橋を「返仁橋(へんじんばし)」または「変人橋」と呼びます。名前の由来はこちらをご覧ください。→ 日立の理念
橋からは谷底を流れる豊富な水の流れが見えました。今年は度重なる台風と大雨の影響により湧水地の水量は多い傾向です。
模擬店コーナーもあります。
坂道を下っていくと、さきほどの谷に入る道があり、川のように水が流れています。残念ながら入れません。
大池は野川の水源のひとつです。大池から野川への水門は普段動かしていないそうです。
西武国分寺線とJR中央線をくぐり、野川の流れになります。
大池は湧水を集めてなみなみとしていますが、造られたのは1958(昭和33)年になります。国分寺駅からほど近い所にこれだけの自然が残されているのは驚きですが、これは日立創業者の小平浪平氏の「よい立木は切らずによけて建てよ」という意志を受けたものです。詳しくはこちらを→ 構内の自然
湧水を見るために並んでいます。
その湧水。崖下にある木の根元から、こんこんと湧き出していました。
外に出るには「返仁橋」をまた渡ります。来春の公開日は4月5日(日)と案内がありました。
花沢通りから熊野神社通りに。研究所の雑木林からの谷が続いていく様子がわかります。
恋ヶ窪用水跡。1657(明暦3)年に開削された国分寺用水からの分水です。2017(平成29)年に市の重要史跡となり、西武国分寺線の南側が整備されました。
中世の古道、鎌倉街道上道。鎌倉街道は、日立製作所中央研究所西側の谷を南北に通っています。
谷の東側の崖上に鎮座するのが熊野神社。14世紀前半の社伝に新田義貞と鎌倉幕府軍の戦いにより社殿が焼失したという記録があります。
東福寺。恋ヶ窪伝説に由来する一葉松が植えられています。恋ヶ窪伝説とは『鎌倉幕府の有力御家人の畠山重忠は、恋ヶ窪宿の遊女夙妻太夫と相愛の仲になった。重忠が平家討伐のため西国に出陣している間に、二人の仲を引き裂こうした男が太夫に「重忠は戦死した」と嘘を告げたたため、悲しみにくれた太夫は姿見の池に身投げしてしまった。』という伝説です。太夫の死を哀れんだ村人が植えた松が悲しみのため一葉になったのが、一葉松です。
恋ヶ窪用水。武蔵野線のトンネルに湧き出た水を利用して整備したものです。
姿見の池。恋ヶ窪宿の遊女達が自らの姿を映して見ていたという伝承がある池です。昭和40年代に埋められましたが、1993(平成5)年に東京都の「国分寺姿見の池緑地保全地域」に指定され、1999(平成11)年度に湿地や用水など池周辺が整備されました。
住宅街の周辺には用水の痕跡がところどころに残っていて興味深いです。
左側が日立製作所中央研究所の敷地、JR中央線が野川の谷を越えて走ります。
次回の新潮講座は、12月15日(日)小金井篇です。
2019年11月6日水曜日
【11月23日(土)のイベントのご案内】清瀬~柳瀬川の河岸段丘と清戸の小さな谷を歩く~
清瀬で初めてのフィールドワークは、「清瀬」の名前の由来といわれる「柳瀬川」沿いに続く高低差がある河岸段丘と、武蔵野台地上の「清戸」に刻まれた小さな谷を巡ります。
前半は秋津神社や金山調節池の湧水と柳瀬川回廊の水辺空間、昭和の面影が残る団地群、中里の富士塚が主な見所です。後半は宅地化が進む中に残る広々とした畑と志木街道・けやき通りの緑豊かな景色を見ながら、清戸駅近くまで続く細長く浅い谷を辿っていきます。
午後スタートの半日開催、水と緑の自然が残る清瀬に是非お越し下さい。お待ちしています!
◆ルート(主な予定)
新秋津駅(スタート)→秋津神社→野塩団地→空堀川→柳瀬川回廊→中里氷川神社→中里の富士塚→柳瀬川・金山調節池→台田団地→日枝神社・水天宮→清瀬市郷土博物館→清瀬駅(ゴール)
日程:2019年11月23日(土)
集合時間:12時30分(昼食はお済ませください)
集合場所:JR武蔵野線新秋津駅改札を出た付近
解散場所と時間:西武池袋線清瀬駅に17時頃
参加費:200円(資料印刷代+保険代)。
※FW終了後の懇親会を清瀬駅付近で予定しています。当日に参加の可否をお伺いします。
※参加ご希望の方は、suribachitama@gmail.com までご連絡ください。
途中参加・途中抜け可。小雨決行、荒天の場合は別途お知らせします。皆様のご参加をお待ちしています!
2019年11月5日火曜日
【報告】ひばりが丘PARCO「ひばり文化祭」
11月2日(土)、ひばりが丘PARCO「ひばり文化祭」でトークイベントとパルコスリバチウォーキングを開催しました。ひばりが丘PARCOさんで3回目の登壇&フィールドワークでした。
西武池袋線東久留米駅の東側をぐるりと約6.5キロ、北から黒目川・落合川・立野川が流れる大きく幅広い谷の凹凸地形を歩きました。ベージュとグリーンの境が標高50m、グリーンとグレーの境が標高45mに色分けしています。大きな谷の中に台地と河川が交互になっているのがわかります。
明治39年測図。蛇行して流れる河川沿いには水田、台地の上には集落があります。
昭和20年部修。西武池袋線の前身の武蔵野鉄道と学園町の住宅開発が目を引きますが、東久留米駅の東側は大きな変化がありません。
昭和41年改測。その東側エリアで団地などの住宅開発が進んでいる様子がわかります。
フィールドワークの前にトークイベントを開催、スリバチのお話しや本日のコースのご案内をしました。
パルコスリバチウォーキング開始です。地元の方を中心に大勢の方にご参加いただきました。
まずは立野川の谷に。小沢橋からの写真です。東日本を中心に甚大な被害をもたらした台風の影響で大雨が続いたこともあり、普段より水量が多いです。
落合川の共立橋からの写真、水量が多いですね。写真奥の不動橋公園は落合川のかつての流路です。
曹洞宗の浄牧院に。
浄牧院のカヤの木は樹齢約400年の古木で、市指定天然記念物です。
弁天川の暗渠を歩きます。
下谷公園の下に整備された氾濫対策の調整池。手前は黒目川。
黒目川と落合川の合流地点。この日は両河川とも水量が多く流れも速いため、川の水が落ち合う(→落合川)という言葉の通りでした。ちなみに黒目川は久留米川と表記されたこともありますが、曲流(蛇行)して流れる様子を表したのかもしれません。
都県境の神宝大橋、夕日が綺麗でした。
こちらはかつての黒目川と落合川の合流地点付近、旧流路が残っています。この辺りは小野殿淵と呼ばれ、徳川家光の鷹狩りに随行した小野家の屋敷があったといわれます。
暗渠を歩いてきた弁天川が落合川に流れ込みます。源流の厳島神社では水がありませんでしたが、ここでは水の流れを確認することができました。
落合川に架かる湧水点の看板。落合川のいくつかの地点にかけられています。
立野川と落合川の合流地点。皆さんが覗いているのが上の看板の湧水点で、左奥が弁天川の出口です。
崖下から水が湧き出して池になっているのが長寿池。この水を飲むと長生きするといわれたそうです。
立野川が勢いよく流れています。
立野川沿いの台地に鎮座する旧落合村の浅間神社。ここから殿山坂を上ると都県境になります。
東京都と埼玉県の境界を行ったり来たりしながら、ひばりが丘PARCOさんにゴール。お疲れ様でした!
西武池袋線東久留米駅の東側をぐるりと約6.5キロ、北から黒目川・落合川・立野川が流れる大きく幅広い谷の凹凸地形を歩きました。ベージュとグリーンの境が標高50m、グリーンとグレーの境が標高45mに色分けしています。大きな谷の中に台地と河川が交互になっているのがわかります。
明治39年測図。蛇行して流れる河川沿いには水田、台地の上には集落があります。
昭和20年部修。西武池袋線の前身の武蔵野鉄道と学園町の住宅開発が目を引きますが、東久留米駅の東側は大きな変化がありません。
昭和41年改測。その東側エリアで団地などの住宅開発が進んでいる様子がわかります。
フィールドワークの前にトークイベントを開催、スリバチのお話しや本日のコースのご案内をしました。
パルコスリバチウォーキング開始です。地元の方を中心に大勢の方にご参加いただきました。
まずは立野川の谷に。小沢橋からの写真です。東日本を中心に甚大な被害をもたらした台風の影響で大雨が続いたこともあり、普段より水量が多いです。
落合川の共立橋からの写真、水量が多いですね。写真奥の不動橋公園は落合川のかつての流路です。
東久留米駅東口のすぐ近くにある厳島神社。昔は門前の弁天様の湧き水として親しまれたそうですが、今回の長雨でも水が湧いた痕跡は確認できませんでした。弁天川の谷頭にあたります。
浄牧院のカヤの木は樹齢約400年の古木で、市指定天然記念物です。
弁天川の暗渠を歩きます。
弁天川は厳島神社から落合川に合流する1キロほどの小河川です。流路のほとんどが暗渠ですが、東久留米市スポーツセンターの南側でこのように姿を現します。(下見の時に撮影した写真です)
下谷公園の下に整備された氾濫対策の調整池。手前は黒目川。
小高い台地にある神山氷川神社に寄りました。(※下見の時に撮影した写真です)
黒目川と落合川の合流地点。この日は両河川とも水量が多く流れも速いため、川の水が落ち合う(→落合川)という言葉の通りでした。ちなみに黒目川は久留米川と表記されたこともありますが、曲流(蛇行)して流れる様子を表したのかもしれません。
都県境の神宝大橋、夕日が綺麗でした。
こちらはかつての黒目川と落合川の合流地点付近、旧流路が残っています。この辺りは小野殿淵と呼ばれ、徳川家光の鷹狩りに随行した小野家の屋敷があったといわれます。
暗渠を歩いてきた弁天川が落合川に流れ込みます。源流の厳島神社では水がありませんでしたが、ここでは水の流れを確認することができました。
落合川に架かる湧水点の看板。落合川のいくつかの地点にかけられています。
立野川と落合川の合流地点。皆さんが覗いているのが上の看板の湧水点で、左奥が弁天川の出口です。
崖下から水が湧き出して池になっているのが長寿池。この水を飲むと長生きするといわれたそうです。
立野川が勢いよく流れています。
立野川沿いの台地に鎮座する旧落合村の浅間神社。ここから殿山坂を上ると都県境になります。
東京都と埼玉県の境界を行ったり来たりしながら、ひばりが丘PARCOさんにゴール。お疲れ様でした!
登録:
投稿 (Atom)