2020年5月10日日曜日

2015年7月~9月に開催したフィールドワーク

【2015年7月~9月開催のフィールドワーク】
 『2015年7月25日:青梅』
 『2015年9月12日:小金井』
 『2015年9月21日:リベンジ青梅』


『2015年7月25日:青梅』

青梅線青梅駅から河辺(かべ)駅まで。多摩川の河岸段丘と丘陵の縁を巡り、武蔵野台地扇状地の扇頂部を体感するコース。HOLUX GPSロガーでログを取り始めました。

暑い日でした。まずは青梅街道沿いを歩いて旧稲葉家住宅から森下陣屋跡に。森下陣屋は、江戸時代の八王子代官所の出張所というべきもので、敷地内には鎮守の熊野神社が祀られています。

陣屋跡の隣りにある都バス営業所。都バス最長距離路線「梅70」の青梅車庫停留所があります。花小金井駅北口停留所から約30キロの長い路線。下見時の撮影。

金剛寺への坂。青梅線から多摩川にかけての一帯は、東西に細長く数段の段丘面が続く地形が特徴です。

青梅は平将門伝説でも有名ですが、「将門誓いの梅」があるのが金剛寺。平将門がこの地に寄った際に願いを込めて梅の枝を地に刺したところ、見事な梅の木になりましたが、その梅の実はいつまでも青いままだったことから、青梅の名前の由来となったいわれます。

柳淵橋を渡り、釜の淵公園に。

19世紀初頭の古民家で、国の重要文化財の旧宮崎家住宅。元々は青梅市成木にありましたが、青梅市に寄贈、移築されました。

鮎美橋から多摩川の眺め。多摩川が崖にぶつかり大きく蛇行している様子がわかります。

宗建寺。弁財天が祀られていて、その脇には丸い形の珍しい庚申塔があります。また中里介山著『大菩薩峠』に登場する義賊、裏宿の七兵衛の墓があることで知られています。

宗建寺の東側は別当沢という谷で、住吉神社の北側まで続きます。2017年8月の撮影。

坂を上っていくと、映画の町青梅らしい雰囲気に。看板の建物は取り壊されました。

青梅赤塚不二夫会館と昭和レトロ商品博物館に寄りました。

住吉神社がある丘から草花丘陵方向の眺め。住吉神社は、1369(応安2)年に住吉大社を勧請したと伝えられる青梅村の総鎮守。

拝殿の彫刻が素晴らしいです。

住吉神社の北側は宗建寺から続く別当沢の上流部。通過する青梅線に思わずシャッター。

乗願寺でも青梅線に思わずシャッター、というか待ち構えています。

暑い中、歩きます。

霞川方面に。

霞川は多摩川と水系が異なり荒川水系。下見時の撮影。

霞川北側の丘にある勝沼城跡。平将門の末裔と称して、この地を領していた三田氏の居城でしたが、三田氏は北条氏照によって滅ぼされ、その後北条家臣の師岡氏が入ったため師岡城ともいわれました。

曲輪、空堀、土塁の遺構が豊かな自然とともに残っています。

勝沼城跡からの眺め。扇状地の扇頂に位置する青梅の地形を少しでも感じることができるかも。青梅から都心まで広大な武蔵野台地が広がっています。

師岡神社。市指定の天然記念物のシイの木があります。

青梅六万薬師堂。1590(天正18)年に薬師如来を本尊として建立。「六万」とは1590年に師岡城が落城し疫病が流行した際に、天寧寺住職が法華経六万部を読誦し疫病の終息と戦死者追悼の祈祷を行ったことに由来するといわれます。下見時の撮影。

ゴールの河辺駅に向かいます。最後は駅前にある天然温泉の「河辺温泉 梅の湯」に入って汗を洗い落としました。不参加の方からの要望もあり、9月にリベンジ青梅を企画することになりました。


『2015年9月12日:小金井』

中央線武蔵小金井駅を中心としたコース。

武蔵小金井駅。南口では再開発が進んでいます。

妙歓坂。幕末に妙歓尼という尼僧が住んでいたことが坂の名前の由来です。小金井市は国分寺崖線の段丘崖や仙川の谷に沿って坂が多い坂の町です。いくつかの坂に名前がついているので、その由来を調べて歩くのも楽しいです。

小金井神社。1205(元久2)年に天満宮の名称で創建され、1583(天正11)年に現在地に鎮座したといわれる古社。写真は石臼供養の石臼塚です。

はけの小路。いい雰囲気。

はけの森美術館。洋画家中村研一のアトリエ跡にある美術館です。国分寺崖線のハケ地形からこんこんと湧き出す水は、東京の湧水57選に選定。

白伝坊の坂。かつて白伝という僧が住んでいたことに由来しています。写真右側の渡辺家墓地内に、月待板碑と延慶の板碑があります。

右が月待板碑、左が延慶の板碑。頭部が欠けていますが、月待板碑が1538(天文7)年、延慶の板碑が1309(延慶2)年の造立。2019年12月の撮影。

はけの道。この付近の湧水は「小金井」の起源となった泉といわれています。市の天然記念物に指定されているオニイタヤの大木が見事。

国分寺崖線から中央線北側に移動、大尽の坂に。明治時代に資産家(大尽)の屋敷があったことに由来しています。

上の写真では坂が見えないので、下見時の写真を。この地域はかつて小長久保という字名、その名の通り仙川の浅い谷が続いています。

浴恩館公園。浴恩館は、1928(昭和3)年に京都御所で行われた昭和天皇の即位式の際に神官の更衣所として使用された建物を、財団法人日本青年館が下賜を受け1930(昭和5)年に開館しました。現在は小金井市文化財センターとして利用されています。

玉川上水に架かる平右衛門橋。2015(平成27)7月に開通した新しい橋です。新田開発や小金井桜の植樹に尽力した川崎平右衛門が橋名の由来です。

小金井公園を抜けると石神井川の谷。下見時の撮影。

上流端の標識からさらに上流に続いていく暗渠。塀の向こうは小金井カントリー倶楽部、石神井川の谷をゴルフコースとして利用しています。石神井川源流はさらに西方の小平市鈴木町。

小金井公園内にある江戸東京建物園。様々な日本建築が復元されている野外博物館として有名です。

足立区にあった子宝湯、脱衣所。

八王子千人同心組頭の家で。

玉川上水沿いにある行幸松と行幸松の碑。1883(明治16)年の明治天皇による小金井堤の観桜を記念したものです。小金井堤の桜は江戸時代より江戸近郊の桜の名所として知られていました。

小金井分水。もともとは玉川上水から分水されていましたが、1870(明治3)年に砂川用水から分水されることになりました。ここに分岐水門が残っています。

仙川の源流にあたるのが、東京サレジオ学園の一帯。

仙川は上流端の標識から開渠に。仙川の上流部は普段水の流れがほとんどなく、排水路という感じ。

山王窪築樋。小金井分水が山王窪と呼ばれる窪地を越えるため、1696(元禄9)年頃に築かれた土手です。江戸時代の土木遺産。

解説版。

小金井分水を辿っていくと、陸軍と刻まれた境界石杭があります。小金井市は戦前に陸軍技術研究所がありました。広大な跡地は現在、東京学芸大学などの学校、団地、住宅地などに変わりました。

小金井分水の暗渠は武蔵小金井駅近くまで続いていきます。


『2015年9月21日:リベンジ青梅』

7月の青梅コースとは逆に、青梅線河辺(かべ)駅をスタートして青梅駅を目指します。

河辺駅南口からしばらく歩くと、河岸段丘のダイナミックな景色に遭遇します。多摩川の向こうは草花丘陵。

段丘崖を下ります。高低差は約20m。

河岸段丘のグリーンベルト。

千ヶ瀬神社。創建は933(承平3)年といわれる古社。シイの木は青梅市指定の天然記念物です。下見時の撮影。

段丘崖を上ります。

追分。扇状地の武蔵野台地を南東と北東に向かう道に分ける三叉路。

追分にある1786(天明6)年の道標。右は江戸、左は川越と刻まれています。下見時の撮影。

霞川沿いの田園地帯は実りの秋。

前回も行った勝沼城跡。

丘の下の光明寺から見た勝沼城跡。

霞川と大塚山公園。

勝沼神社脇の切通しを歩いて青梅市街に向かいます。石垣が見事。

宗徳寺前の青梅線。

偶然、青梅線が来ました。

住吉神社。映画『ちはやふる』のロケ地として知られています。路上演劇をやっていました。

前回同様、ここも。

津雲邸の南に境橋の碑があります。境橋は青梅村と千ヶ瀬村とを分ける境に架けられていた石橋で、その一部が残されています。

青梅駅から多摩川にかけては、青梅面、竹ノ屋面、天ヶ瀬面、千ヶ瀬面などの河岸段丘が続き、小河川が多摩川に向かって流れていきます。

金剛寺。

金剛寺前の坂。

旧稲葉家住宅。江戸時代に青梅宿の町年寄を勤め、材木商や青梅縞の仲買問屋を営んでいた稲葉家の旧宅です。


武蔵御嶽神社の御神札。にゃにゃまがりの路地の軒先にあったものだったかと。御神札は家内安全や火災、疫病という災厄から守ってくれるために、神棚、門口や柱に貼ります。

青梅街道の宿場町として栄えた青梅には古い建物がまだまだ残っています。

真ん中の建物の店舗部分一棟は国登録有形文化財、ゲストハウス&カフェとして活用されています。2018年9月の撮影。

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