『2015年10月31日:平山~多摩動物公園』
『2015年12月12日:多摩丘陵の里山と古道』
『2016年1月16日:玉川学園』
『2015年10月31日:平山~多摩動物公園』
京王線平山城址公園駅から多摩動物公園に、高幡不動駅がゴール。浅川の沖積低地から多摩丘陵を辿るコースです。ログは途中からになりました。
平山城址公園駅前に設置されている「平山季重(すえしげ)の道」案内板。平山季重は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて勢力を伸ばした武蔵七党のなかの、西党の武士です。
平山城址公園駅前は、平山季重の居館跡と伝えられる地です。平山季重遺跡之碑と平山季重居館跡の碑があります。下見時の撮影。
宗印寺。多摩丘陵の谷戸の中に包まれた境内です。かつて安行寺無量院のあった所といわれています。下見時の撮影。
平山季重の墓。もともと平山城址公園駅前の大福寺にありましたが、明治時代に大福寺が廃寺になったため、大福寺の建物や日奉地蔵堂などともに宗印寺に移されたとのこと。
浅川右岸には、江戸時代に開削された平山用水が流れています。
平山東公園、地下水が自噴する井戸です。平山や南平は、浅川の伏流水による地下水が豊富で、この他に南平の七生中学校や個人宅で自噴しています。この付近は、ふれあい水辺として親水性の高い空間となっています。下見時の撮影。
平山用水と丘陵からの沢水が立体交差します。丘陵の土砂混じりの水が用水に入らないようにするための仕組みです。
平山用水から分水した南平用水が南平駅前近くを流れていきます。
北野街道を渡り、丘陵を造成して分譲された南平の住宅地に。ここには変わった名前の公園がいくつかあります。まずは砂層公園。解説版によると、昭和40年の頃まで公園の前方に見上げるような砂層の崖がそびえていたとのこと。下見時の撮影。
七曲り公園。つづら折りの坂道が続きます。下見時の撮影。
坂道を上ると、浅川方面の景色が広がります。
雑木林の向こうは、多摩動物公園。
貉谷戸公園。名前の通り、狢(むじな)が住んでいた谷戸。下見時の撮影。
まねご上公園。この付近を古くは真根郷、まねご村と呼んでいたようです。下見時の撮影。
多摩テックの跡地を過ぎて、程久保川源流付近。
秋葉大権現社。
多摩動物公園に。多摩動物公園は1958(昭和33)年の開園、丘陵地に広がる谷戸地形を活かして造られているため、自由に動く動物を間近に見ることができるのは勿論のこと、地形好きのスリバチ学会にとっても素敵な公園です。下見時の撮影。
たまどうぶつこうえんマンホール。
皆さん、動物よりも地形を見ていると思います。
狼谷戸と呼ばれる谷戸の谷頭にあるコアラ館。
一部のエリアが工事中のため、地層観察ができました。
アジア園とアフリカ園とを分ける尾根にある案内板。
尾根から谷に下りるとキリンがいる風景。下見時の写真。
ライオンバスの発着場。バスの中からライオンを間近に見ることができるので有名でしたが、建物の耐震化工事のため2016(平成28)年4月から休止中です。下見時の写真。
ここも谷戸地形を活かしています。
では、ライオンバスに乗りますか。休止になっちゃうし。
久し振りのライオンバス、子供の時と子供と一緒に来た時以来かな。
昆虫生態園。温度調節することによって、チョウやバッタが1年中放し飼いされている大温室。建物は日本建築学会賞を受賞。
多摩動物公園を後にして程久保の旧道を歩きます。日だまり公園。日当たりがいいです。下見時の撮影。
番匠(ばんじょう)谷戸公園。高幡の不動堂を建てる番匠(大工)がいたと伝えられています。下見時の写真。
古道の面影のある道が高幡の交差点近くまで続きます。路傍に六地蔵がありました。
最後におまけ。多摩モノレール多摩動物公園から程久保川の谷を望んだ写真。2019年3月撮影。
多摩センター駅をスタート、多摩ニュータウンを抜けて谷戸と古道を歩いて、多摩センター駅に戻るコース。前回に続いて多摩丘陵での企画。
駅前のサンリオピューロランド、大行列。
落合白山神社。落合村の鎮守で、草創が平安時代または鎌倉時代まで遡るといわれる古社。1983(昭和58)年、多摩ニュータウンの開発により現在地に鎮座しました。下見時の撮影。
多摩ニュータウンを歩きます。
一本杉橋を渡り、南多摩尾根幹線道路を越えます。
一本杉公園。江夏豊が引退セレモニーをした野球場です。下見時の撮影。
古道の森と書かれた木を見てます。
石畳の道を下ると解説版があります。ここは中世の鎌倉街道のひとつ、通称「鎌倉裏街道」とのこと。
素敵な古道の案内板が設置されていますが、このあたりは古代から中世にかけての古道の密集地です。下見時の撮影。
旧鎌倉街道。この近くを鎌倉古道の上道や、御尊櫃御成道(ごそんひつおなりみち)が通っていました。
布田道の関屋の切通し。布田道の布田とは甲州街道の布田五宿のことで、この道は近藤勇や土方歳三が剣術指南で通った道です。鎌倉古道の上道は、この関屋の切通しの上を通っていたと考えられています。
小野路宿里山交流館。小野路宿周辺は中世から交通の要衝でした。下見時の撮影。
木製の電信柱を見上げて。
小野路城跡の案内板に注目。
小野路城跡は、小山田氏が小山田城の支城として築城されたといわれます。尾根に社があります。下見時の撮影。
小町井戸。平安時代に小野小町がこの水で目を洗ったら病が治ったという伝説があります。
尾根筋を下り、奈良ばい谷戸に向かいます。
奈良ばい谷戸。藁ぼっち。
下見時の写真、藁ぼっちを作っている最中でした。里山の景観を維持するためには人の手による管理が必要です。かつては荒地となってしまった谷戸は、里山保全活動により再生が進んでいるようです。
多摩丘陵の谷筋を北上していきます。
多摩よこやまの道に。多摩丘陵の尾根筋を通る古代からの道で、鎌倉古道や奥州古道などが交差します。
キャノンスポーツパーク。ラグビーのトップリーグチーム、キャノンイーグルスの練習場。谷戸を造成したグラウンドです。
すぐ脇を古道の奥州古道が通っています。
多摩よこやまの道を歩きます。写真左が多摩市で、右が町田市です。多摩市は市街化区域で住宅街、町田市は市街化調整区域で雑木林(キャノンスポーツパーク)と、左右で景色がまったく違うのが興味深いです。
多摩中央公園の旧富澤家の建物。18世紀後半の連光寺の名主の家を移築したものです。
多摩センター駅に到着。すっかり日が暮れました。
最後におまけ。多摩モノレールの多摩センター駅の写真。多摩モノレールはここから町田まで延伸計画があります。2019年3月撮影。
『2016年1月16日:玉川学園』
小田急小田原線玉川学園前駅をぐるりと一周しました。玉川学園前駅の開業と、玉川学園の開校は同じ1929(昭和4)年です。教育者の小原國芳はこの地に新しい学園の設立を考え、土地を購入しました。購入した土地のうち3分の1は学園用地に、3分の2は宅地として分譲地し学園建設資金の元手としました。また住宅地は、多摩丘陵の丘と谷の地形を活かして開発されています。今回は主に玉川学園前駅の東西に広がる初期分譲地を歩いて、多摩丘陵のスリバチ地形を楽しみました。
坂を上ると尾根道に。藤森照信氏の設計による赤瀬川原平氏の自宅です。通称、ニラハウスとして知られています。
谷戸に開発された住宅地の景観に感嘆。戦後の開発です。
この道は東京都と神奈川県の境界。写真左側が東京都です。
町田市玉川学園7丁目。
反対側は神奈川県。
横浜市青葉区奈良町。
坂を下ります。
谷に。ここは周りをぐるりと丘に囲まれたスリバチ地形になっています。
谷底は神奈中バスの折り返し場として活用されています。下見時の撮影。
バスが来ました。
横断歩道をお渡りましょう。
古い階段を上ります。
写真右に見える造成中の宅地は完成したようです。写真左には東玉川学園化石谷公園があります。
気になる名前ですね。下見時の撮影。
しばらく尾根道を歩いて、のらくろ坂を下ります。玉川学園は多くの作家や漫画家などの著名人の自宅がある閑静な住宅地です。ここも初期分譲地。下見時の撮影。
小田急線を渡りました。ここは通称、鉢巻道路と呼ばれる道路で丘の中腹にあります。その名前の通りぐるりと一周できます。北側にもうひとつの鉢巻道路があります。
月見坂。
鉢巻道路を下りると谷に。暗渠が続いています。
また尾根道に出ました。道路の真ん中に1本の桜の木。
また谷に下ります。玉川学園が谷戸地形を活かした町となっているのが実感できます。
ここの谷も暗渠が続いています。
上流を辿ると開渠になっていました。
この日は上ったり下りたりの連続。皆さんスリバチ学会の健脚ぞろい。まだ大丈夫、かな。
また尾根に。遠くによみうりランドの観覧車。
また谷に。
玉川大学。玉川学園前駅がもう近いです。
もうひと踏ん張りして、花影坂を上ります。
この道路は、もうひとつの鉢巻道路。
凹凸の連続でお疲れ様でした。次回も玉川学園です。
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