2019年10月25日金曜日

【報告】新潮講座・三鷹大沢篇

10月20日(日)の新潮講座・三鷹大沢篇の報告です。


今回は西武多摩川線多磨駅から国分寺崖線に向かい、国立天文台で折り返して多磨駅に戻る約8キロのコースです。調布飛行場の北側を通り野川を渡ります。


明治39年測図。野川沿いの水田以外は樹林と桑畑が広がり、集落は人見街道沿いと調布飛行場建設のため移転した押立山谷にある程度です。崖下には水車マークがいくつかあります。


昭和2年修正。明治の頃とあまり変化がないようですが、地図左側の鉄道が現在の西武多摩川線です。1917(大正6)年に多摩川付近の砂利を運搬するために、境(武蔵境)から北多磨(白糸台)間が開業しました。鉄道の西側には日本初の公園墓地として多磨墓地が1923(大正12)年に開園、1935(昭和10)年に多磨霊園に改称しました。地図の右側には天文台の表記がありますが、現在の国立天文台です。1924(大正13)年に現在の港区麻布台から三鷹に移転しました。

昭和20年部修。真ん中に白くなっているのが調布飛行場です。1941(昭和16)年に東京調布飛行場として完成し、戦時中は陸軍の飛行場として利用されました。地図左下には掩体壕(戦闘機を隠す格納庫)がいくつか確認できます。


昭和41年改測。代々木のワシントンハイツが1964(昭和39)年の東京オリンピック開催にあわせて日本に返還されることになり、建設されたのが関東村です。1974(昭和49)年に全面返還され跡地利用されています。


西武多摩川線多磨駅は1929(昭和4)年に多磨墓地前駅として開業、2001(平成13)年に多磨駅に改称しました。


多磨霊園が近いため、駅前には石材店が何軒かあります。


ラグビーワールドカップ試合会場の東京スタジアム(味の素スタジアム)からほど近く、シャトルバスの発着場になっています。当日は日本対南アフリカ戦!


多磨駅から東に向かって歩きます。東京外国語大学や警察大学校などの広い敷地があります。ここはもともと調布飛行場の敷地で、戦後は米軍の水耕農場や関東村として利用されました。返還後の跡地に学校、スタジアム、病院などができました。

大手スーパーの出店予定地。道路の跡が見えますが、関東村当時のものでしょうか。


武蔵野の森公園。2000(平成12)年の開園で、広場が主体の北地区とスポーツ施設が主体の南地区に整備されています。ここは北地区で写真奥に見えるのが国分寺崖線です。


ふるさとの丘には、各都道府県を代表する様々な石が置かれています。


丘からは調布飛行場が一望できる最高のロケーションです。

掩体壕大沢2号。飛行場の周辺には戦闘機を隠すために、コンクリートで造られたものが約30基、土塁と竹で造られたものが約30基あったそうです。大沢には大沢1号とあわせて2基保存されています。


野川沿いにある大沢の里水車経営農家。1808(文化5)年頃に創設された新車(しんぐるま)と呼ばれる大型水車や母屋、製粉小屋などが現存しています。日本機械学会から旧峯岸水車場として機械遺産の認定を受けている価値のあるものです。


別の日に行った時の製粉小屋の中の写真です。水輪が回ることにより歯車が動いて、杵で玄米をついて白米にしたり、挽き臼で小麦やそばを粉にします。


近くの野川沿いには小型の水車が回っていました。


国分寺崖線の崖にある沢の台橋。台風19号の影響で普段は見ることがないほどの水が湧き出していました。

大沢野川グウンドは野川の調節池となつています。国分寺崖線の崖上から水が溜まっているのが見えました。写真奥には東京スタジアム(味の素スタジアム)、さらにその向こうに多摩丘陵が望めます。左端によみうりランドが見えますね。


古八幡社。大沢八幡神社の旧地です。


大沢の細長い谷を歩くと、このような階段が。


国立天文台。大正から昭和初期にかけての国登録有形文化財がいくつかあります。これは1921(大正10)年建設の第一赤道儀室。国立天文台三鷹で現存する最古の建物です。


すぐ隣りにある天文台構内古墳。古墳時代に造られたと考えられる上円下方墳です。


1926(大正15)年建設の天文台歴史館(大赤道儀室)。ドームになっていますが、これは船底を作る技術を持った造船技師の力を借りて作られたとのことです。

スリバチ状になっている子午線標。雑木林の向こうは国分寺崖線。


三鷹市星と森と絵本の家。天文台の敷地の中で自然や科学に親しむ場となっています。絵本が置いてある建物は、1915(大正15)年に建設された国立天文台の旧官舎です。国立天文台は無料で一般公開していますので、是非ゆっくりと見学してみてください。


1925(大正14)年に設置された三鷹村一等三角点。国立天文台の北側にあります。


三鷹の国分寺崖線沿いにはいくつかの横穴墓群と呼ばれる古代の墳墓が発掘されました。公開されている出山横穴墓群8号墓に行きました。


湧水とわさび田の景色。この地のわさびの歴史は150年前の江戸時代までさかのぼります。江戸に出荷されて、小ぶりで味が良いと珍重されたそうです。


大沢の里古民家。1902(明治35)年に建てられた農家住宅で、わさび栽培や養蚕などを営んでいました。2018(平成30)年に復元・整備工事が完了して一般公開(有料)しています。

別の日に行った時の写真。国分寺崖線を背景にした素敵な古民家です。

国分寺崖線下では綺麗な湧水でほたるを育てています。


野川と国分寺崖線の景色。


人見街道沿いにある龍源寺には、新選組局長近藤勇のお墓があります。近くには近藤勇の生家跡や撥雲館道場もあり、新選組の歴史に触れることができます。

調布飛行場に着陸する飛行機に遭遇。

さらにラグビーワールドカップの日本対南アフリカ戦、南アフリカ応援の観光バスの一団に遭遇しました。

次回の新潮講座は11月17日(日)、国分寺に行きます。

2019年10月7日月曜日

【イベントのご案内】中央線シリーズ・阿佐ヶ谷から高円寺まで


まち歩きのシーズンになりました!
今回は、新宿まで各駅のペースで歩く中央線シリーズ、阿佐ヶ谷駅から高円寺駅までのコースです。
阿佐ヶ谷川、善福寺川沿いのあげ堀、江戸時代に掘削された天保新堀用水(江戸時代のプロジェクトX)、そして桃園川とその支流たちの暗渠を辿ります(天保新堀用水は探ります)。連続する金太郎の車止め、成宗村と田端村の鎮守さま、蛇行する善福寺川、陸軍境界石など見所が沢山。直線ならば1キロほどしかない両駅間をぐるぐる歩いて楽しみます。
午後スタートの半日開催、お気軽にお越し下さい。お待ちしています!

◆ルート(主な予定)
阿佐ヶ谷駅(スタート)→阿佐ヶ谷川→天神橋公園→善福寺川緑地公園→田端神社→尾崎熊野神社→成宗五色弁財天・須賀神社→天保新堀用水→馬橋稲荷神社→馬橋公園・軍用地跡→桃園川→長仙寺(ゴール)

日程:2019年10月26日(土)
集合時間:12時30分(昼食はお済ませください)
集合場所:JR中央線阿佐ヶ谷駅改札を出た付近
解散場所と時間:長仙寺に17時頃
参加費:200円(資料印刷代+保険代)。
※FW終了後の懇親会を高円寺駅付近で予定しています。当日に参加の可否をお伺いします。
※当日は高円寺フェス開催中です。
https://koenjifes.jp/
参加ご希望の方は、suribachitama@gmail.com までご連絡ください。

途中参加・途中抜け可。小雨決行、荒天の場合は別途お知らせします。皆様のご参加をお待ちしています!

2019年10月6日日曜日

【報告】朝日カルチャーセンター立川教室で矢川に

10月4日(金)、朝日カルチャーセンター立川教室さんの講座で矢川に行ってきました。

南武線西国立駅から矢川駅まで約5キロのコース。東西に連続している崖が立川崖線(北側)と青柳崖線(南側)です。

明治39年測図。甲州街道沿いに集落がある以外は、桑畑や樹林、雑木林となっています。そこに拝島道や田村道など東西、南北に道が通っています。

昭和12年修正22年資修。立川駅南で耕地整理、国立駅南で学園都市の建設が始まりました。整然とした区画割りが現在の町並みの基礎となっています。

昭和41年改測。富士見台団地ができて、中央自動車道の予定地が描かれています。

朝日カルチャーセンター立川教室さんは、ルミネ立川の中にあり交通至便。まずは座学を。


まち歩きは西国立駅から。万願寺道を歩いて立川崖線に。立川段丘面から青柳段丘面に下ります。


矢川辨財天に着きました。

水の神様を祀る弁財天らしく、狛犬ではなく狛蛇が祀られています。

矢川緑地。雑木林や湿地が広がっている緑地の数ヶ所から水が湧き出して、矢川の流れになります。

矢川は、立川崖線下の湧水を集めた約1.5kmの小河川です。住宅地の中を甲州街道まで散策路が整備されていて、とても気持ちよく歩けます。

甲州街道の脇にある五智如来。江戸時代に八王子から移住した人々が祀ったのが始まりといわれます。


滝乃川学園。日本で初めての知的障害者のための福祉施設として1891(明治24)年に創設されました。学園内には移転当時の本館と礼拝堂が残されています。本館は2002(平成14)年に国の登録有形建造物文化財に指定されました。

四軒在家公園。2001(平成13)年に7世紀の円墳10基が発見されました。

青柳崖線の崖下から豊富に水が湧き出している、ママ下湧水。この付近では昭和初期までワサビ栽培が行われていたそうです。ママには崖という意味があります。

矢川おんだし。おんだしとは「押し出し」が転訛した用語です。矢川、ママ下湧水群の清水川、多摩川から取水した府中用水が合流する場所です。稲穂が色づいてきました。

玉石の石垣が綺麗な寺の下坂。

坂上にある南養寺。臨済宗建長寺派で普済寺の末寺で、本堂・大悲殿・総門・鐘楼とも江戸時代に建築された市の指定有形文化財です。本堂の南にはかつて諏訪池と呼ばれた池がありました。現在は池はありませんが浅い谷となっています。

ゴールの矢川駅は国立市石田にあります。石田の地名は、江戸時代の日野にあった石田村の飛び地の名残りです。