2020年5月2日土曜日

2015年1月~4月に開催したフィールドワーク

【2015年1月~4月開催のフィールドワーク】
 『2015年1月24日:仙川・仙川地図研究所とのコラボ企画』
 『2015年3月1日:百草園~高幡不動』
 『2015年4月11日:田無~東久留米』


『2015年1月24日:仙川・仙川地図研究所とのコラボ企画』

仙川エリアで地図作りを中心に活動している「仙川地図研究所」さんとのコラボ企画。コースは第1回『仙川』の東側、京王線仙川駅から仙川沿いに丸池まで遡上し、仙川駅に戻ってくるルートです。この地図にはログの記録はありません。

仙川駅をスタート、甲州街道を渡ると緑ヶ丘団地に。

白百合女子大学構内にある「めぐみ荘」を見学。仙川から新川団地に至る一帯は、大正時代に津村順天堂(現ツムラ)の津村薬草植物園がありました。終戦時には230,000坪もの規模になり、東洋一の薬用植物園だったとのこと。「めぐみ荘」は伊豆の修善寺から移築された旧名主菊池家の主屋で、津村順天堂の創業者津村重舎氏が譲り受けたものです。国の登録有形文化財。

空地の前で解説する副会長。空地には現在マンションが建ちました。

三鷹市北野にある尼寺の観音寺は、なかなか興味深いお寺でした。下見時の写真。

三鷹市と調布市の市境付近。

丸池近くを流れる仙川。武蔵野台地では標高50mラインに湧水地が数多くありますが、この付近もちょうど標高50m前後です。かつて丸池付近は豊富な水が湧いたため、「千釜」と呼ばれました。その「千釜」が仙川の名前の由来といわれます。また「仙川地下水堆」という地下水位が浅くなった所があるのが特徴です。勝渕橋のたもとに小さな祠がありますが、祠の付近はベンテンヤと呼ばれた仙川の水源のひとつだったようです。

小高い地にある勝渕神社。祭神は水の神、水波能売命(みずはのめのみこと)。柴田勝家の兜が埋められた「兜塚」があることで知られています。写真の狛犬は津村氏寄贈のもの。

丸池は1960年代には汚れた池となってしまい、1969年には埋め立てられてしまいました。現在の池は2000年に復活したものです。私は小学生の頃に、河川改修前の仙川や埋め立てられる前の丸池でよく遊びました。ザリガニをバケツ一杯になるほど採った思い出があります。

天神山。仙川沿いの舌状台地にある中世の砦跡です。


『2015年3月1日:百草園~高幡不動』

京王線百草駅から高幡不動駅までの多摩丘陵コース。ログの記録がありました。

まずは百草駅から北の多摩川沖積地に。周辺は一宮用水や落川用水が網の目のように流れています。この日は終日雨模様。

急階段の大宮神社。かつては三沢の大宮耕地に鎮座していて、1862(文久2)年に現在地へ移設されたといわれます。ここから多摩動物公園まで七生丘陵散策東コースがあります。

京王百草園に向かいます。京王百草園は江戸時代には松連寺があった場所ですが、明治期に廃寺になりました。あとひといきの旧松連坂。

あとひといきの急坂で、結構しんどい。

多摩丘陵の地形を活かした京王百草園に。梅の花が綺麗でした。

天気がいい時は、見晴台から東京スカイツリーや新宿新都心を望めます。下見時の写真。

百草八幡神社とシイノキ群。百草一帯は平安時代末から鎌倉時代にかけて真慈悲寺という幻の大寺院があったといわれたり、百草城が確認されたりと歴史のロマンを感じる地でもあります。

雨乞公園に。雨乞い?

名前の由来が書いてありました。公園の下あたりが雨乞谷戸と呼ばれるそうです。

 
百草団地。1969(昭和44)年に入居開始の大規模団地、多摩丘陵の地形を活かした作りが特徴的です。

中心施設は、代官山ヒルズサイドテラスを手掛けた槇文彦氏の設計によるもの。1階に商店街、2階に集会施設、3階に集合住宅という配置です。

高幡台団地から程久保に向かいます。雨がだんだん強く。

谷戸口公園。

公園のすぐ横を京王動物園線が通っています。

高幡城跡。さらに雨が強くなってきました。天気が良ければ城跡の痕跡や山内八十八ヶ所巡りを楽しめたのですが、残念。

高幡不動尊、大日堂の横に下りてきました。

「高幡不動尊」の通称として知られる高幡山明王院金剛寺は、成田山新勝寺などともに関東三大不動のひとつです。草創が古文書では大宝年間(701年)以前ともいわれる古刹で、広い境内には重要文化財の不動堂や仁王門、弁天池などなど見所がたくさん。ですが高幡不動尊に着いたら豪雨となったため、やむなくこれにて解散。


『2015年4月11日:田無~東久留米』

西武新宿線田無駅から西武池袋線東久留米駅までのコース。地図の下から上の方向に歩きます。平坦な武蔵野台地でも、カシミール3Dのパレットを細かく色塗りしてみると、それなりに地形が凹凸しているのがわかります。この地図にはログの記録はありません。

田無神社。創建年代は諸説あるようですが、かつては現在地より約1キロ北の谷戸に鎮座、尉殿(じょうどの)大権現と称していました。鎌倉時代から谷戸地域に住んでいた人々は、江戸時代に青梅街道が開設されたことにより、幕府の命で青梅街道沿いに移ることになりました。宿場町田無の歴史が始まります。

境内には玉川上水分水の田無用水が流れていました。

2018年11月に龍神池としてビオトープが整備されました。上の写真とほぼ同じ位置からの写真。詳細はこちらをご覧ください → 田無神社龍神池

西東京市北原町に入ると、暗渠が多いことに気がつきます。白子川支流のひとつの「新川」と呼ばれる流れで、如意輪寺の西側で南の流れと北の流れに分かれます。写真は南の流れ。この一帯は「上宿地下水堆」という地下水位が浅い地域で、別名「上保谷のシマッポ」と呼ばれる所です。

フラワー通り。八王子に通じる道で、横山道という古道です。昭和の香りが漂う商店街があります。

暗渠を歩きます。

暗渠沿いにある駄菓子屋さん。下見の時に、この辺りは2~3m掘れば水が出るとのお話しを聞きました。


ツルマの弁天池付近の暗渠。新川の北の流れです。この暗渠を歩いていくと谷戸小学校の東側に出ます。そして新川の源流は東大農場まで遡ることになります。

西東京市から東久留米市に入ります。たての緑地。ここには戦時中に東久留米駅から旧中島航空金属田無製造所までの引込線がありました。廃線跡がずっと続きます。

竹林公園。「東京の名湧水57選」と「新東京百景」に選定されています。湧水は、こぶし沢を流れて落合川に合流します。

立野川。

立野川源流の向山緑地公園。崖下から水が湧き出しています。縄文時代の遺跡が発掘されました。

南沢緑地。標高50mに位置していて、数ヶ所の湧水ポイントがあります。ここも「東京の名湧水57選」に選定されています。

南沢緑地からの豊かな湧水は、沢頭(さがしら)の流れとなり落合川に合流します。落合川と南沢湧水群は環境省による「平成の名水百選」に東京都で唯一選ばれました。

南沢氷川神社。湧水の守護神として奉られていたもので、川に囲まれた高台に鎮座しています。

落合川いこいの水辺。

湧水を集めた落合川はとても綺麗です。

落合川を下っていくと西武池袋線の近くに築堤がありますが、たての緑地から続く廃線跡です。

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