2019年6月25日火曜日

【報告】南町田~多摩最南端の地を歩く~

雨中のフィールドワークとなった「南町田~多摩最南端の地を歩く~」の報告です。

東急田園都市線南町田駅からJR横浜線成瀬駅までの約13キロ、多摩地域最南端の地がある町田市と都県境を越えて神奈川県を歩きました。

明治39年測図。一面桑畑となっている平坦な相模原台地と等高線が込み入っている多摩丘陵の対比が面白いですね。右上から大山街道、左上から町田街道、その下にまっすぐ延びている横浜水道が目を引きます。

大正10年測図昭和4年鉄補。相模原台地に小田急線が開通しました。小田原線は1927(昭和2)年、江ノ島線は1929(昭和4)年の開通です。相模原台地をよく見ると、武蔵野台地と同じような凹地(おうち)マークが点在しています。窪地が気になりますね。

1961(昭和36)年の空中写真。蛇行する境川と住宅地として開発される前の多摩丘陵の谷戸地形がよくわかります。

昭和41改測。桑畑だった相模原台地に住宅地が広がってきました。

昭和50年二改。境川は改修され、多摩丘陵も住宅地として開発されてきました。1966(昭和41)年に長津田駅まで開業した東急田園都市線は、徐々に延伸して1984(昭和59)年に中央林間駅まで開業しました。

東急田園都市線南町田駅をスタート。南町田駅は1976(昭和51)年の開業ですが、現在南町田グランベリーパークの再開発に伴い駅舎も改良工事中です。南町田グランベリーパークは2019年11月に開業予定で、駅名も南町田グランベリーパーク駅に改称される予定です。

工事中の鶴間公園前の歩道から何かを眺めています。

目線の先にあるのは横浜水道です。

横浜水道は日本最初の近代水道として1997(明治20)年に給水を開始しました。道志川や相模湖から取水していて、水道管を埋設した場所は水道みちや緑地などになっています。

境川水道橋。横浜水道が境川を越えています。現在の水道管は1974(昭和49)年の完成です。3本のうち1本が道志川、2本は相模湖の水を運んでいるとのことです。
横浜水道については、こちらをご覧ください。
このまちアーカイブス

雲行きが怪しくなってきました。今日はにわか雨があるとの予報。

工事中の南町田グランベリーパーク。

そして横浜水道みちに入るとともに、たたきつけるような豪雨に!

少し小降りになりました。フィールドワークは続きます。

国道246号に架かる銀河歩道橋は、1989(平成元)年に土木学会田中賞を受賞しました。織姫と彦星が出会うロマンチックな橋ですね。ただ雨で銀河も霞んでるようで、ロマンチックな気分にひたることができませんでした。

歩道橋を渡ると中世の鎌倉街道といわれる古道があります。写真左の道です。右は大山街道、交差点の角に大ヶ谷庚申塔があります。

大山街道をしばらく歩いて都県境の道に入ります。写真左側が神奈川県横浜市瀬谷区五貫目町、右側が東京都町田市鶴間6丁目です。五貫目町という珍しい名前の地名は、江戸時代初期に年貢の石高が五貫目と定められて字名となったということです(Wikipediaより)。

この辺りが多摩地域最南端の地のようです。市境界の標識が続いていました。

東名高速道路の下を横浜水道がくぐります。このあたりの横浜水道は緑地になっています。

東名高速道路町田ICをぐるりと歩いていくと、昔の絹の道に出ます。ここも都県境で写真左側が東京都、右側が神奈川県です。この道をまっすぐ行くと大山街道との交差点、町田市辻に出ます。

相模原台地から多摩丘陵に入りました。水系も境川水系から鶴見川水系に変わります。雨のなか、いよいよ高尾山登頂です。

電柱に、辻と高尾と出ていました。

高尾山には飯縄(いづな)神社が鎮座しています。尾根道の参道、奥に東工大の校舎が見えます。

高尾山に登頂しました。飯縄神社の由緒によると、八王子市の高尾山薬王院の飯縄大権現を勧請したものと伝えられています。

山頂は標高約100mと眺望がよいため、1882(明治15)年に置かれた一等三角点があります。

今日は雨のため、頂上からの眺めがよくありません。

下見の時は丹沢連山や大山を望むことができました。

国道246号の歩道橋を渡ります。道路に沿って都県境です。

大山街道の旧道を下りていきます。

東急田園都市線すずかけ台駅は崖下にあります。マンションの向こう側方面が、つくし野の住宅街を流れていく小川の源流域です。

明治39年の地図と現在の地図を見比べるとわかります。

馬ノ瀬といわれる高台と東急田園都市線のトンネル。

高台を下りると狭い谷になっています。このあたりも小川の水源だったのでしょうね。

すずかけ台駅近くのやなぎ公園には調整池があります。明治39年の地図を見ると公園の一帯は谷戸が集中している地形になっています。

このあたりから小川の暗渠が続きます。道路は中世の鎌倉街道といわれています。

住宅街の中の暗渠を歩きます。

杉山神社から小川の谷の眺め。杉山神社は神奈川県に多くある神社で、当社は南多摩郡六社の一社です。

町谷原通りを渡るとここにも暗渠があります。ここにはふたつの細長い谷戸がありましたが、北側の谷戸は埋められて住宅地になっています。

細長い谷戸なので柳谷戸という地名がつけられたのでしょうね。

町谷原通りとやなぎ通りとの交差点は、その名も小川柳谷戸です。ちなみに町谷原通りを写真の右手に行くと町谷原の交差点に出ます。交差点付近は古代東海道の駅、店屋駅があったのではないかといわれています。

やなぎ通りは、南側の細長い谷戸を通っています。

柳谷戸から別の道を入ると水の流れがありました。相模原台地に切れ込む谷戸です。

金森東に。ここは台地をぐるりと囲んだ谷になっている面白い地形です。谷に下ります。

谷の上は相模原台地です。

1961年の空中写真を見ると台地と谷戸地形の様子がはっきりとしています。台地には町田街道が通っています。

カシミール3Dの地形図。1961年の空中写真と比べると劇的に変化していますが、地形の名残りが随所に見られます。土地の記憶は簡単に消すことはできないですね。


谷を上って、また下ります。

金森わさび田児童公園に着きました。

今でこそ普通の公園ですが、名前の通りかつては豊富に水が湧き出し、わさびが栽培されていたそうです。これは下見の時にお会いしたおばあちゃんからお聞きしました。

雨がまた降ってきたので、予定より少し早いですがゴールの成瀬駅に向かいました。参加者の皆さん、お疲れ様でした。

夏は暑いのでしばらくお休み。次回のフィールドワークは10月26日(土)に中央線シリーズの続き、阿佐ヶ谷から高円寺の予定です。