2019年1月26日土曜日

新潮講座 芦花公園篇

1月20日(日)の新潮講座・芦花公園篇の報告です。2019年から新潮講座は第三日曜日に開催。シーズン14の1~3月期は環八シリーズとして世田谷区と杉並区に行きます。

芦花公園駅からスタートして「6」の字をひっくり返したように歩きました。

迅速測図。北多摩郡・東多摩郡・荏原郡を歩いたことになります。

明治42年測図。徳冨蘆花が青山から移り住んだのが1907(明治40)年、京王線はまだ開通していません。1913(大正2)年に塚駅から調布駅が開通しました。地図記号の水田を流れている川は、北から北沢川(北沢用水)、烏山川、水無川です。

大正6年測図。芦花公園駅は上高井戸駅として開業、上北沢駅は1917(大正6)年に北沢駅に改称しました。徳冨蘆花の1913(大正2)年の作品『みみずのたはこと』では、自給自足の純農村地帯が東京への蔬菜供給地に変化していく様子が描かれています。

昭和7年要修。1919(大正8)年東京市巣鴨にあった東京府巣鴨病院が現在地に移転、東京府松澤病院として診療を開始しました。

昭和41年改測。田圃が埋め立てられ団地や学校等になっていく様子がわかります。東京ガスのガスタンクや清掃工場の大規模施設もできました。

昭和51年ニ改。環八通り(通称、環八)が開通しています。環八は1971(昭和46)年4月に小田急線との立体交差が完成、同年8月に粕谷と八幡山町との境に開通しました。

スタートの芦花公園駅東側を通っている千歳通りは、世田谷区と杉並区の境界です。昭和の香りのする商店街。

旧甲州街道をしばらく歩くと、井の頭弁財天への道標があります。江戸時代からこの場所に置かれているといわれ、旧甲州街道をここで右折して弁財天を目指していました。

甲州街道を渡ってすぐ北側の暗渠、烏山川支流です。歩くと井の頭弁財天への参詣道や甲州街道より低い土地ということがわかります。

ここは医王寺の旧境内で、薬師池と呼ばれる池があった場所です。付近は湿地で涸れることなく水が湧き、眼病平癒のため放した魚が一眼になるという伝説がある池です。現在は危険なため埋められています。

医王寺。834(承和元)年に弘法大師が東国を巡行した際、箱根山で彫った薬師如来像を海星和尚が上高井戸に草庵を建てたといわれています。本堂は西に向いているため西向薬師とも、江戸時代以降は「おめだま薬師」「眼病にきく薬師様」といわれました。

杉並区上高井戸にある医王寺から、北沢用水暗渠がある世田谷区上北沢に入りました。

北沢用水の暗渠道をしばらく歩きます。北沢用水は、1658(万治元)年に玉川上水から開削され北沢川に助水され、上北沢・赤堤・世田谷・松原・代田の各村の灌漑用水として利用されました。

いい雰囲気ですね。

甲州街道を渡るとコンクリート蓋に。ここもいい雰囲気。

京王線をくぐります。

こちらも京王線をくぐっていきます。

都立松沢病院の敷地内にある将軍池。1921(大正10)年から1926(大正15)年にかけて患者の作業療法の一環として造られた池です。池の名は作業に参加した患者で自称「将軍」の芦原金次郎氏にちなんだものです。また加藤山という築山がありますが、作業を指導した医長・加藤普佐次郎氏に由来します。池がある一帯は北沢川の水源のひとつです。

建物の向こうにある将軍池からの北沢川の暗渠。北沢用水と北沢川がいく筋かになって流れていきます。

八幡社。八幡山の地名の由来となった神社で、滝坂北道に面しています。

烏山川への斜面を下りていくと、小さな池がある八幡山かまのくち緑地に。自然保護のため立ち入りができません。隣りには高橋果樹園というりんご農園があります。りんご農園は23区内に2軒しかないそうです。

のくち緑かま

じゃぶじゃぶ池。冬のためか水が流れていませんでした。この一帯は、縄文時代中期や江戸時代の炭焼窯の遺跡が発掘されました(八幡山遺跡)。

烏山川暗渠を辿っていくと環八に出ます。烏山川は環八に沿って開渠に。団地の建替え構想のお知らせがありました。

環八を渡って蘆花恒春園に。近くにある東京ガス世田谷整圧所のガスタンクは、廻沢のガスタンクとして「せたがや百景」に選ばれています。1956(昭和31)年に2基が建てられ、現在は5基あります。

徳冨蘆花の旧宅。『不如帰(ホトトギス)』『みみずのたはこと』等の名作で知られる、徳冨健次郎(蘆花)が1907(明治40)年から20年間、愛子夫人と住んだ場所です。蘆花はこの地を永住の地とし、美的百姓と称して晴耕雨読の生活を送りました。母屋、秋水書院(書斎と寝室)、梅花書屋等から当時の生活の様子が偲ばれます。蘆花恒春園は、蘆花死去後十周忌の1936(昭和11)年に愛子夫人から東京市に寄付され、1938(昭和13)年に開園しました。

旧宅の隣に、兄の徳富蘇峰の銘による蘆花夫妻の墓があります。

蘆花恒春園に隣接している粕谷八幡神社。旧粕谷村の鎮守で、鳥居の近くには上部が切られた杉の木「別れの杉」があります。蘆花の『みみずのたはこと』の「わかれの杉」には次のように書かれています。"村居六年の間、彼は色々の場合に此杉の下に立って色々の人を送った。此杉は彼にとって見送りの杉、さては別れの杉である。"

「わかれの杉」では次のような描写もあります。"宮から阪の石壇を下りて石鳥居を出た処に、また一本百年あまりの杉がある。此杉の下から横長い田圃がよく見晴される。田圃を北から南へ田川が二つ流れて居る。"
「田川」ではこんな描写も。"八幡田圃を流るゝ田川の大きな方を、此辺では大川と云う。一間幅しかない大川で、玉川浄水を分った灌漑用水である。"
現在の八幡田圃には環八が通り、自動車が途切れることなく流れています。

1960年代に建てられた都営八幡山アパート。かつては薬師池からの流れ(烏山川支流)がありました。

八幡山駅の南側は区界が入り組んでます。道路をはさんで左が世田谷区、右が杉並区。

ゴールの八幡山駅。赤堤通りはかつて荏原郡と北多摩郡・東多摩郡との境を通っていた府中道です。
今回は世田谷区の微地形・暗渠のコースでした。次回の新潮講座は2月17日(日)に井の頭線高井戸駅からJR荻窪駅に向かって北上します。

2019年1月20日日曜日

2月9日(土)・ 用賀から桜上水へ ~住宅街に隠れた地形の「何か」を確認しに行く〜のご案内

多摩武蔵野スリバチ学会による世田谷企画!
東急田園都市線用賀駅をスタート。前半は耕地整理のために流路を変えられた多摩川支流の谷沢川暗渠を中心に辿り、後半は荒玉水道道路を軸に目黒川支流の烏山川と北沢川を横切り、京王線桜上水駅まで歩きます。
さて、今回は住宅街に隠れた地形の「何か」を確認しに行くことがテーマです(地味ですが)。スリバチ学会に相応しいテーマだと勝手に思っていますので、当日は地形図を片手にその「何か」を一緒に実感してみましょう。

◆ルート(予定)
【午前の部 用賀~千歳船橋】
用賀駅→田中橋→大山道追分→真福寺・無量寺→天神溜池跡→谷沢川暗渠→久成院・宇山稲荷神社→千歳船橋駅(昼食休憩)
【午後の部 千歳船橋~桜上水】
千歳船橋駅→桜丘すみれば自然庭園→笠森公園・弁天公園→烏山川支流暗渠→観音堂・鎌倉街道→密蔵院→北沢用水→桜上水駅

日程:2019年2月9日(土)
集合時間:
午前の部10時
午後の部13時30分頃(目安の時間となります。当日にイベントページでお知らせします)
集合場所(午前の部):東急田園都市線用賀駅改札口を出て右側、スリバチの底の広場
集合場所(午後の部):小田急小田原線千歳船橋駅改札口を出た付近
昼食休憩:千歳船橋駅付近で12時30分頃
解散場所と時間:京王線桜上水駅に17時頃
参加費:200円(資料印刷代+保険代)
※午前のみ・午後のみ・途中参加・途中抜けもOKです!
 途中参加の方はその旨ご連絡ください。
※下高井戸駅(桜上水駅の隣駅)近くで懇親会を開催予定です。当日に参加の可否をお伺いします。

参加ご希望の方は、suribachitama@gmail.com までご連絡ください。

途中参加・途中抜け可。小雨決行、荒天の場合は別途お知らせします。皆様のご参加をお待ちしています!

2019年1月18日金曜日

中央線シリーズ・荻窪から阿佐ヶ谷まで

1月12日(土)に開催した「中央線シリーズ・荻窪から阿佐ヶ谷まで」の報告です。
荻窪駅から「の」の字を書くように、阿佐ヶ谷駅までの約10キロの行程でした。


明治期の迅速測図。まだ甲武鉄道がない地図です。旧下荻窪村・旧天沼村・旧阿佐ヶ谷村、江戸時代は田んぼと畑の純農村地帯でした。


明治42年測図。当時の水田や樹林等の土地利用や集落の様子がよくわかります。荻窪駅は1891(明治24)年に開設、当初は南口のみでした。


大正6年測図・大正8年鉄補。まだ関東大震災前で明治期と大きな変化はありません。


昭和2年修正・昭和4年ニ修。関東大震災と区画整理により、東京都心から人々が移り住んできました。阿佐ヶ谷駅は1922(大正11)年の開設、天沼陸橋は1955(昭和30)年の完成です。地図をよく見ると青梅街道上に軌道マークがありますが、西武軌道(その後の都電杉並線)です。1962(昭和37)年に営団地下鉄荻窪線が延伸となり、1963(昭和38)年に廃止された路線です。


集合場所の旧中田家の長屋門。明治天皇が行幸した際に休息所として利用された御小休所が長屋門の隣りにあります。


荻窪駅南側エリアからスタート、善福寺川の高野ケ谷戸支流の暗渠を歩いて大田黒公園に。


大田黒公園は、日本最初のクラシック音楽の評論家といわれる大田黒元雄氏の屋敷跡を回遊式庭園として整備して、1981(昭和56)年に開園しました。茶室や記念館に当時の様子を見ることができます。2016(平成28)年に記念館と蔵が国の登録有形文化財となりました。

さらに暗渠道を歩いて、


あげ堀を歩くと、角川庭園です。


角川庭園は、角川書店の創設者で俳人の角川源義氏の旧邸宅です。近代数寄屋造りの建物は、2009(平成21)年に国の登録有形文化財に登録されました。

近くには昭和戦前期に首相を務めた近衛文麿の別邸、荻外荘があります。重要な会談や決定が行われた場所として、2016(平成28)年に国の史跡に指定されました。当初は大正天皇の侍医であった入澤達吉の別邸として伊東忠太が設計した建物です。荻窪は都心から近いうえ善福寺川沿いの南側斜面日当たりもよく、昭和初期に別荘ができました。


善福寺川に架かる忍川橋(おしかわ、以前はしのびかわばしと呼ばれていました)。すぐ上流には忍川上橋があります。付近は忍ケ谷戸(しのびがやと)と呼ばれる小さな谷戸地形となっています。「忍」という言葉から連想されるように、ここには伊賀忍者が住んでいたという伝説がありましたが、参加された地元の方のお話しによると伝承の域とのことでした。


光明院に向かいます。四面道からの谷をJR中央線が築堤で越えています。


JR中央線と環八通りを超えて光明院に。通称「荻寺」と呼ばれ、荻窪の地名の由来となったお寺です。伝承では、708(和銅元)年に諸国を行脚していた行者が背負っていた仏像が突然重くなったので、この付近に茂る荻で草堂を造って安置したのが始まりといわれます。明治時代に境内を甲武鉄道が通ることになり本堂は移転され、現在でも線路の南側に墓地があります。


JR中央線築堤の北側は、荻窪の名前の通り窪地です。

旧下荻窪村鎮守の荻窪白山神社。

1957(昭和32)年に建設された杉並公会堂は、音響設備が優れた最先端のホールとして「東洋一の音楽の殿堂」と呼ばれたそうです。ウルトラマン誕生のプレートがありました。ウルトラマン第一話放送に先立ち、PRイベント番組が杉並公会堂で収録されたとのことです。

四面道の交差点を渡り、妙正寺川清水口支流の暗渠に。

さらに妙正寺川本天沼支流暗渠に入っていきます。

いい雰囲気の杉並区らしい暗渠が続きます。

旧天沼村の鎮守、本天沼稲荷神社。

稲荷神社裏の暗渠。地元から参加された方のお話しでは、昭和40年代初めは川の流れがあったそうで、ここに橋が架かっていたとのことです。

三峯神社と厳島神社がある三角地帯隣りの道もかつての川です。

暗渠沿いにある蓮華寺は室町時代の開創と伝えられ、馬頭観音石像や宝筐印塔等が境内に安置されています。写真は弁財天堂。

静かで印象的な庭園。

早稲田通りから松山通りに。この道はかつての阿佐ヶ谷道、いくつかのルートがある鎌倉街道です。桃園川の暗渠を越えます。

阿佐ヶ谷村鎮守の阿佐ヶ谷神明宮。日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、後に村人が旧社地の「お伊勢の森」に神明宮を勧請したのが始まりといわれます。

神明宮の北側は桃園川に至る坂道、阿佐ヶ谷の地名の由来といわれる浅い谷です。

桃園川の暗渠に入ります。本流と支流が入り乱れた迷宮に方向感覚がなくなります。

暗渠が続きます。

阿佐ヶ谷弁天社。東側の駐車場がかつてひょうたんの形をした池だったそうです。

江戸時代の名主相沢家の欅屋敷。屋敷林を含む土地が都の旧跡として指定されています。駅近くに立派なお屋敷が残されていることに驚きます。

阿佐ヶ谷駅に到着。次回の中央線シリーズは年内の予定、阿佐ヶ谷から高円寺までです。お楽しみに!

次回のフィールドワークは2月9日(土)、世田谷区の用賀から桜上水へ、住宅街に隠れた地形の「何か」を確認しに行きます。