2018年12月28日金曜日

【八王子】千人同心と小宮公園

2018年最後のフィールドワーク、12月22日(土)に開催した「八王子・千人同心と小宮公園」の報告です。


午前は八王子駅から北上しスリバチ地形の小宮公園に、午後は八王子駅から西に向かい千人同心のゆかりの地に、というコースでした。


明治39年測図。江戸時代の八王子は甲州街道の宿場町で横山と呼ばれ、15の宿場があり発展しました。明治期の地図で他の多摩地域の宿場町と比べると、八王子がとても大きいことがわかります。


昭和5年鉄補。昭和初期、甲州街道には武蔵中央電気鉄道が現在の京王電鉄京王八王子駅前から高尾まで通っていました。

その甲州街道の横山町郵便局前交差点は、野猿街道の起点。野猿街道は多摩ニュータウン北部を大栗川沿いに聖蹟桜ヶ丘方面まで通っています。

八幡八雲神社。名前の通り八幡神社と八雲神社を合祀した神社で、社殿が並んで建てられています。

境内には横山神社があります。この一帯は中世に武蔵七党と呼ばれた武士団のうち横山党の根拠地とされています。

八雲八幡神社の北にある妙薬寺には、横山氏の墓と伝えられた供養塔があります。

さらにその北側には、かつて遊郭があった田町。元々は甲州街道沿いの横山町にありましたが、1893年(明治26)の大火により、当時田んぼだったこの地に移転したものです。明治期の地図を見ると新地と記載されています。

浅川を渡り加住丘陵のきわに。綺麗な水が流れている細流があります。かつてはこの周辺は田んぼで、水車もいくつかあったようです。

小宮公園に向かう坂上からの八王子市街の眺め。遠くには高尾山。

小宮公園は中央自動車道のすぐ南側にあり、コナラやクヌギを中心とした雑木林に覆われたスリバチ地形の公園です。標高の高い北側はひよどり山と呼ばれます。

木道が整備されていて気持ちよく歩くことができます。

今回は冬に来ましたが、この写真は2年前の夏。木々の緑がとても美しいです。

数か所から水が湧き出しています。東京名湧水57選。

湧水が集まって大谷沢を下り、大谷川の流れとなります。

公園の南側にある弁天池は、天明の飢饉の時にこの地を知行していた千人頭の荻原氏が、水田灌漑のために溜池として掘らせ、弁財天を祀ったともいわれます。

浅川をまた渡り八王子市街に戻ります。

新町竹の鼻の一里塚跡。江戸から十二里、甲州道中八王子宿の東の入口に位置しています。鍵の手に曲がる道路に当時の名残りを感じます。

子安神社でいったん解散して昼食休憩。

子安神社の湧水。境内の東側は台地のきわにあり、小さな段差になっています。八王子には、六本杉公園、中野山王の子安神社、叶谷榎池等の湧水地があります。

午後は千人同心ゆかりの地を巡りました。最初は観音寺。山門は千人頭の中村左京の屋敷門を移築したものといわれます。


次に訪れた本立寺は、滝山城下で創建され1596年(慶長元)にこの地に移転されたとのこと。開基が千人頭の原氏の家祖原刑部胤従で、原家10代目の原胤敦の墓所です。原胤敦は、1800年(寛政12)に蝦夷地御用を命じられました。また『新編武蔵国風土寄稿』を編纂したことで知られています。


産千代稲荷神社。一帯は小門町と呼ばれ、八王子代官頭の大久保石見守長安の陣屋跡です。神社は陣屋の西端で陣屋は相当広い敷地だったそうです。


日光からご参加された岡井さんに、植田孟縉による日光の絵図をご紹介して頂きました。千人同心は、日光勤番として日光火の番を命じられました。


信松院。武田信玄の息女の松姫は、織田信長の嫡子信忠と婚約しましたが、三方ヶ原の戦いを機に破棄されました。武田家の滅亡により八王子に逃れ、この地に出家して信松院を開きました。


千人頭10人が松姫没後の1748年(延享5)に寄進した玉垣です。もともとは墓所を囲んでいましたが、現在は墓所の裏側にあります。千人頭それぞれの名前が刻まれています。


興岳寺には、幕末に日光東照宮を守った千人頭の石坂弥次右衛門義礼のお墓があります。


甲州街道と陣馬街道(案下道)にある追分の道標。


千人同心屋敷跡碑。千人町は、1593年(文禄2)に千人頭が住んだことにより形成された町です。


宗格院は、1593年(文禄2)の創建で千人同心組頭の松本斗機蔵の墓所です。

庫裏の裏手には、大久保長安が浅川氾濫防止のために築かせた石見土手が数十メートル残っています。

南浅川。八王子は扇状地のため南浅川も水が涸れることがあり、水無瀬橋という橋が架かっています。メタセコイアの化石林を河床に見ることができます。
午前はスリバチ地形を楽しみ、午後は八王子の歴史の一端に触れました。八王子は面積も広く、また地形や自然、歴史と楽しめる町なので、今後も企画していきます。

次回は来年の1月12日(土)、中央線シリーズとして荻窪から阿佐ヶ谷までの企画です。


2018年12月19日水曜日

新潮講座 多摩モノレール・狭山丘陵篇

12月15日(土)は2018年最後の新潮講座「多摩モノレール・狭山丘陵篇」、東大和市に歩きに行きました。

多摩モノレールの上北台駅から狭山丘陵南端を歩いて、西武多摩湖線の武蔵大和駅がゴールです。

大正10年測図。まだ多摩湖(村山貯水池)ができてません。集落は狭山丘陵南側に沿って続いています。

昭和12年修正。多摩湖は1927年(昭和2)に完成しました。

昭和41年改測。武蔵野台地に住宅が増えてきました。左下は村山団地、右下には東京街道団地が見えてます。多摩湖の南側にあった田んぼ(狭山たんぼ)が埋め立てられ、こちらにも住宅開発の波が押し寄せてきました。

昭和58年修正。一面の住宅地の中、市立狭山緑地と都立東大和公園の緑地があります。現在の東大和公園がある場所には、昔、団地の建設計画がありましたが、保存活動により貴重な自然が残されることになったそうです。

多摩モノレールは、今年の11月27日に開業20周年を迎えました。特別ラッピング列車の運行、記念乗車券や記念グッズが販売されています。

多摩モノレール上北台駅からは、さらに武蔵村山市を経由して瑞穂町の箱根ヶ崎までの延伸計画があります。

新青梅街道を超えると空堀川が流れています。向こうに見えるのは昭和40年代に竣工した芝中住宅です。


空堀川は柳瀬川支流のひとつで、武蔵村山市の野山北公園付近を水源とする一級河川です。冬は涸れてしまい空堀となることから名前がついたといわれ、河床が砂や礫のため砂の川とも呼ばれました。その名の通り水が流れていませんでした。


蔵敷庚申塚と道標。蔵敷とは「雑色」に由来するといわれ、平安時代の下級役人が着ていた服の色が定まらないため、名付けられたといわれます。


奈良橋川を渡り、青梅街道沿いにある蔵敷高札場。都内では府中とともに残っている高札場です。


これは何かというと、蔵敷太子堂跡です。聖徳太子に対する信仰の場で、現在は地区
集会所として利用されています。後方はもう狭山丘陵になります。


東大和市立郷土博物館で休憩。郷土の歴史や民俗、自然に関する展示をしています。またプラネタリウムが併設されていて楽しめます。東大和市内には「よもやま話」などをテーマにしたモニュメントが27箇所に設置されています。ここには狭山丘陵の「いのしし」がいました。


郷土博物館の北側一帯にある八幡谷戸と呼ばれる谷戸です。縄文時代中期の住居跡などの遺跡が発掘されています。高台には八幡神社があります。

奈良橋に入りました。八幡谷戸の集落です。東大和市は清水、狭山、高木、奈良橋、蔵敷、芋窪の旧六ヶ村が合併して発足しました。いずれの村も狭山丘陵から南北に細長い形をしていますが、狭山丘陵の薪炭林と水、武蔵野台地の畑と秣場を確保しようとするとこの形になるのでしょう。


雲性寺。狭山三十三観音霊場十八番札所です。馬頭観音や庚申塔、六地蔵などの石仏が多くあり、山門は箱根本陣の一の門として使われていたものを譲り受け、1951年(昭和26)に設置したものだそうです。


諏訪山橋から多摩湖方面の狭山丘陵の眺望。八幡谷戸の東側の山は、諏訪社があったため諏訪山と呼ばれたそうです。


丘陵の高台を降りると二ッ池公園があります。廻田谷ツという谷戸の谷頭にあたり、東大和公園の西側に接した公園です。前川の源流部にあたり、昭和30年代前半まで周辺一帯は狭山田んぼと呼ばれた水田でした。昭和30年代後半以降の宅地化に伴い水田は埋め立てられ、灌漑用水として利用された前川は、支流も含めて暗渠やコンクリート張りの水路になりました。

モニュメントがありました。このモニュメントは「ごはん塚」といいます。新田義貞が鎌倉攻めの際に、この付近で陣を布いて、ごはんを炊いたそうです。

二ッ池公園の湧水と、公園近くにある湖畔集会所(写真)裏の湧水は、東京都名湧水57選に選ばれています。

巡田谷ツの南側にある階段。


巡田谷ツを流れる前川が、暗渠から開渠になる場所です。

狭山神社。狭山村は後ケ谷村と宅部村が合併してできましたが、狭山神社は後ケ谷村の村社でした。また1923年(大正12)に貯水池の用地にあった御霊神社が合祀されました。

モニュメントがありました。「野球少年」です。明治初期にこの地に小学校ができたことに由来するそうです。

狭山神社の南側には、谷ツ入という小さな谷戸があります。前川支流の暗渠です。

円乗院は、火災で古い記録が消失したため創建は不明です。かつては二ッ池公園付近にありましたが、1607年(慶長12)の風水害で現在地に移ったといわれます。鐘楼門は1749年(寛延2)に建てられたものです。

円乗院がある高台を下りて、前川支流の暗渠を歩いて武蔵大和駅まで歩きました。

なかなか歩きに行く機会がない狭山丘陵ですが、狭山丘陵の南端には古くから集落があり、谷戸、湧水、寺社などスリバチ散歩を楽しめるエリアです。是非一度歩いてみて下さい。

新潮講座は来年から第3日曜日の13時スタートになりますが、引き続きよろしくお願い致します。