2020年6月14日日曜日

2016年7月~11月に開催したフィールドワーク

【2016年7月~11月開催のフィールドワーク】
 『2016年7月9日:西武多摩川線沿いを歩く』
 『2016年9月10日:あきる野』
 『2016年11月12日:ブライナギ』


『2016年7月9日:西武多摩川線沿いを歩く』

西武多摩川線を是政駅から新小金井駅まで、多摩川沖積地・武蔵野台地の立川面と武蔵野面を歩くという企画でした。

スタートの西武多摩川線是政駅。西武多摩川線は多摩川の砂利運搬を目的として開業した鉄道で、是政駅は1922(大正11)年の開業です。

二ヶ村遊歩道から極楽橋に。多摩川に近い是政駅周辺には府中用水の流路が網の目のようになっています。ここは妙観堀の旧水路と新田川が合流する地点ですが、橋はありません。下見時の撮影。

近くには南武線が通っています。高架が低いので結構間近に電車が。

武蔵野線の貨物線も通っています。

暗渠道が続きます。

東郷寺。府中崖線上の眺めのいい所にあります。東郷平八郎の別荘跡地に建立されました。山門は東京都選定歴史的建造物の指定で、伊藤忠太の設計とのこと。また黒澤明監督の映画『羅生門』に登場する門のモデルといわれます。

悲しい坂の碑。玉川上水の失敗堀に由来するもので、工事の責任をとらされた役人が「かなしい」と嘆いたことから名前がついたといわれます。近くの住宅地の区画に失敗堀の痕跡を感じます。

府中崖線に沿って歩いて溝合神社に。「みぞあい」と読みます。昔このあたりは小田分(おだぶん)村で、溝合という字名があったそうです。写真左側の坂は庚申坂で呼ばれます。

まむし坂。西武多摩川線が武蔵野台地立川面から多摩川沖積地に向かって走ります。府中崖線の下は田んぼだったので、毒蛇のまむしがいたのですね。

西武多摩川線は、はけ下堀の橋を渡ります。

かなり大きい鉄塔や送電線が密集しています。

白糸台掩体壕。掩体壕とは戦時中に空襲から戦闘機を守るための格納施設で、調布飛行場の周辺には130基ほどありましたが、ほとんど解体されました。府中市と三鷹市に4基残っています。

多磨霊園。東京市街の墓地不足に対応するため、日本初の公園墓地として1923(大正12)年に開園しました。人家も少なく平坦な武蔵野台地は、大規模な施設を設置するには絶好の場所でした。敷地約128万平方メートルのうち約半分が緑地とのことで、著名人の墓地が多いことでも知られています。

霊園内の噴水塔。1930(昭和5)年の建設、老朽化により立入禁止です。下見時の撮影。

東八道路に架かる欅橋から撮影。

野川。

国分寺崖線の崖上から突然現れる多摩川線。

国分寺崖線を上ります。ここから武蔵野台地の武蔵野面という段丘面です。

国分寺崖線に向かって切通しになっています。それにしても真っすぐですね。

いちご橋から撮影。いちご橋の「いちご」とは食べる苺ではなく、小金井市東町一丁目と東町五丁目に架かるので「いちご」ということでした。


『2016年9月10日:あきる野』

今回は秋留台地に。ログは残念ながらありません。

五日市線東秋留駅をスタート。

まずは二宮神社に。武蔵六所宮のうち二宮とされる古社です。例祭は「しょうが祭」として賑わいます。

社殿は、秋留台地東端の崖上に鎮座しています。

参道の向こう側に「お池」と呼ばれる湧水池があります。湧水量が多く、とても透き通っています。東京の名湧水57選のひとつです。下見時の撮影。

ここで雨乞いがされていたという言い伝えにより制作された彫刻があります。下見時の撮影。

次に行く八雲神社の湧水などが水源の舞知川(もうちがわ)。

八雲神社の池。ここも透き通った水、東京の名湧水57選のひとつです。

池の底から湧いていて、鯉が浮いているような感じですね。この周辺は地下水位が高いようで、私有地の中でも水が湧いている所があります。

電車で武蔵五日市駅に出ました。西東京バス五日市営業所前のユニークな自動販売機。

阿伎留神社。秋川の河岸段丘の上に鎮座しています。創建は不詳ですが延喜式内社です。1830(天保元)年の五日市の大火でほとんどが焼失し、明治以降に整備・再建されました。

拝殿のまわりは、秋川産の砂岩を用いた石垣らしいです。

秋川が東流していきます。秋川右岸にある古刹の広徳寺にも行きたかったのですが、今回は時間がなくまたの機会に。

武蔵五日市駅に戻りました。この乗り物は、日の出町の「つるつる温泉」までの路線バス。下見時の撮影。

秋川の左岸を歩いて大悲願寺に向かいます。

五日市線の五輪坂踏切を渡ります。

大悲願寺。源頼朝の命により、1191(建久2)年に創建されたと伝えられます。1622(元和8)年には伊達政宗が来訪した際、白萩の見事さを忘れることができず書簡を送ったといわれます。

本堂は1695(元禄8)年の建立。下見時の撮影。

観音堂、各所に彫刻が飾られています。堂内には国指定重要文化財の木像伝阿弥陀像などが安置されています。下見時の撮影。

仁王門の天井絵。幕末期の狩野派の絵師藤原喜信による草木花と、地元の絵師森田五水による天女が描かれています。下見時の撮影。

仁王門を後に。大悲願寺の後背地は関東山地の東端にあたります。

少し歩くと秋川に。

正一位岩走神社で休憩。

バスで移動。

白滝神社の湧水。神社の西側にあり、秋留台地の段丘崖を勢いよく流れ落ちます。かつては生活用水や農業用水として大切に使われました。

中村酒造に寄りました。「千代鶴」の銘柄で知られている老舗です。

暑い一日でしたが、空を見上げると秋の気配が。あきる野、再訪したいですね。


『2016年11月12日:ブライナギ』

南武線南多摩駅から稲田堤駅まで、多摩川沖積地と多摩丘陵の北縁を歩きました。

南多摩駅をスタート、駅前を大丸用水が流れています。大丸用水は多摩川の水を取水して、稲城市と川崎市を流れる灌漑用水です。ここは分量樋と呼ばれ用水の流れが分けられる所です。

分量樋の南側の流れ、大堀。

大丸城跡。中世に築かれた砦のようです。多摩丘陵の高台に位置し、多摩川の向こうに武蔵野台地を望む好立地です。また奈良時代の瓦窯跡が発見されたことにより、この地の瓦が武蔵国分寺や国府に使われたことが明らかになりました。

大麻止乃豆乃天神社。延喜式内社といわれる古社です。荘厳な雰囲気の中に鎮座していま
す。「おおまとのつ」とは「大きく丸い平地にある船着き場」という意味とも考えられています。多摩川の流れが多摩丘陵を削ったような地形になっていて、近くには入方という旧地名もありました。ちなみに大麻止乃豆乃天神社は、青梅市の武蔵御嶽神社も論社とされます。


旧川崎街道。

大丸用水菅堀。写真左側には田んぼが広がっています。

津島神社天王社。

稲城長沼駅高架下にある「いなぎ発信基地ペアテラス」。ここにガンダムとシャアのモニュメントがありますが、稲城がガンダムをデザインしたメカニックデザイナーの大河原邦男氏の地元のためです。

また高架下には「くらすクラス」というコミュニティ施設があります。→くらすクラス

青渭神社に。ここも延喜式内社ですが、調布市深大寺と青梅市沢井にも論社があります。

三沢川を渡ります。

妙見寺。多摩丘陵の谷戸に抱かれたお寺で、1112(天永3)年の創建といわれます。

上に上っていくと素晴らしい眺望が広がります。

待っていれば、武蔵野線の貨物を見ることができますので。

山の上には妙見宮があります。妙見寺には神仏混淆が残っています。下見時の写真。

ここからは、遠く東京スカイツリーや新宿新都心が望めます。下見時の写真。

妙見尊は、毎年8月7日に「蛇より行事」が行われます。疫病退散や五穀豊穣などを祈るために行われる行事で、1662(寛文2)年に始まったそうです。東京都指定無形民族文化財に指定されています。

小束にまとめられたカヤをよって、蛇の頭や胴体を作ります。最後に妙見寺の住職が魂入れをします。より上げた胴体に触れると、1年間病気をしないという言い伝えがあるそうです。


入谷戸児童公園。一級スリバチですね。

てっちゃん向けの絶好ポイントが近くに。

七曲見晴児童公園の階段を下ります。

梨畑と京王相模原線。その向こうには稲城のグランドキャニオンと呼ばれる開発エリア。下見時の写真。

妙覚寺。

保存状態良好の室町時代中頃の板碑があります。

ありがた山に上る高台からの眺め。ありがた山は関東大震災などで無縁仏になった墓石や石仏をここまで運搬して並べていますが、この近くまで開発の波が押し寄せていました。

威光寺。弁天洞窟が有名でしたが、崩落の危険があるので閉鎖になっています。残念。

穴澤天神社。孝安天皇4年の創建とされる延喜式内社。稲城には式内社が多いです。

神奈川県川崎市の小沢城跡に。源頼朝の重臣だった稲毛三郎重成の子の小沢小太郎の居城とされます。

よみうりv通り。歩道には読売ジャイアンツの監督・コーチ・選手の手形があります。

穴澤天神社への階段を下りて、

穴澤天神社が鎮座している崖下の御神水に。東京の名湧水57選のひとつです。

三沢川沿いを歩いてゴールの稲田堤駅を目指します。都県境ということがよくわかります。

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