2018年9月24日月曜日

調布から狛江へ府中崖線を辿る

9月23日(日)に開催したフィールドワーク「調布から狛江へ府中崖線を辿る」の報告です。
多摩武蔵野スリバチ学会は設立5年目になりました。引き続きフィールドワークの様子をブログに掲載していきますので、お楽しみ下さい。


今回は夏休み明けの足慣らしとして午後スタート。約10キロの行程を府中崖線(地元では布田崖線とも)沿いに歩きました。


明治期の迅速測図。崖線下は一面の水田です。


昭和7年の地図。変化があるのは左上に「たまがはら」という駅ができたこと。京王電気軌道が1916年(大正5)に多摩川の砂利採取のために支線を建設しました。その駅名が「多摩川原」です。駅西に遊園地とあるのは、砂利を採取した跡地にできた一大行楽地の「京王閣」です。


昭和41年。京王閣はなくなり競輪場に。かつての水田には映画撮影所や団地が建設されていく様子がわかります。


スタートは京王多摩川駅。駅西の京王閣跡地に1949年(昭和24)に開設された京王閣競輪場(通称、東京オーヴァル京王閣)があります。今回は特別に見学の許可を頂きました。


入場してすぐ右手に鍵型の池があります。戦前の京王閣の痕跡で、ボート池と呼ばれています。現在はボートはありません。
痕跡としてはもうひとつ、大岡稲荷天。江戸時代に大岡越前守の邸内にあった豊川稲荷から分祀され、1930年(昭和5)に奉納されたとのことです。戦前にあった場所から移動されています。


スリバチ状の競輪場バンク。ちなみにオーヴァル=ovalは楕円形という意味なので、楕円形のスリバチですね。


次の目的地は調布市郷土博物館。途中で根堀川を渡ります。根堀川は通称、府中用水とも呼ばれますが、正式には「調布市公共下水道調布幹線」といいます。かつては、市域の水田を潤す用水として利用され、府中崖線下の湧水を集めワサビ田もあったそうです(『調布の古道・坂道・水路・橋』より)。


さらに小島用水の暗渠をたどります。小島用水は根堀川の分流。こちらも市域の灌漑用水。角川大映スタジオや調布日活撮影所の敷地内を通っています。

調布市郷土博物館はこじんまりしていますが、郷土史の展示もあり充実しています。これは入間川(いりまがわ)に架かっていた石橋。


京王相模原線の高架を超えたところにある公園には、「調布・映画発祥の碑」と多くの俳優の名前が彫られた「映画俳優の碑」があります。調布は戦前から映画会社の撮影所が進出し、京都とともに「東洋のハリウッド」と呼ばれていました。


そのひとつ、現在の角川大映スタジオです。大魔神がお出迎え。平日はSHOP MAJINがオープンしていますので是非お立ち寄りください。https://www.kd-st.co.jp/shop/


府中崖線を東に歩いて行きます。崖上は武蔵野台地の立川段丘面、崖下は沖積地という地形区分となります。


古天神(ふるてんじん)公園。調布駅北口にある布多天神社の社殿がかつてあった場所です。多摩川の氾濫を避けるため1477年(文明9)に遷座したとのこと。


その布多天神社では例大祭が行われていました。延喜式内社として由緒ある神社。写真はフィールドワーク前に立ち寄ったものです。


その名も「羽毛下通り」を歩きます。


しばらく行くと国指定史跡の下布田遺跡があります。崖上の立川段丘面と崖下の沖積地にかけてあった縄文時代以降の複合遺跡です。


調布の府中崖線上沿いには、5世紀前半から7世紀前半に造営された古墳が数多くあります。これは下布田古墳群のひとつで、円墳の狐塚古墳です。


沖積地に降りると、住宅が迫ってくる中に田んぼがありました。見事な穂が頭を垂れていました。


こういう水路跡が残っているかと思うと、


府中崖線の石垣が見事でした。見とれてしまいますね。


石垣の上からはいい眺めです。崖上の道はハケ道ともいいます。


崖下に戻ります。染地せせらぎ散歩道になっている所が根川です。根川の水源は古天神公園の東側で、崖線各所からの湧水を集めて灌漑用水として利用されました。かつては豊富な水量がありワサビ栽培もされていたそうですが、戦時中から湧水の減少は始まっていたとのことです(『調布の古道・坂道・水路・橋』より)。



千町耕地と呼ばれた水田には、多摩川住宅の団地88棟が並んでいます。多摩川住宅は、東京都住宅供給公社と現URにより1966年(昭和41)~1968年(昭和43)に建築され、分譲と賃貸があります。イ~トの団地番号(へは除く)や横に長い建物、5つある給水塔などに特徴があります。ウルトラセブンのロケ地でもあったそうです←参加者情報


多摩川住宅の東側は狛江市。植え込みには住民の方による相違工夫がほどこされたオブジェなどがあって楽しい空間です。


根川にまた出ました。


府中崖線の弧を描いた自然の造形美に感動します。


多摩川がもう近いです。ここには大正時代にできた料亭「玉翠園」の石垣が残っています。多摩川の舟遊びや鮎料理を楽しみました。


多摩川。この近くに徳川家康の命により1597年(慶長2)から開削された六郷用水の取水口がありました。


水神社。六郷用水を造った小泉次大夫を讃える用水の守護神です。六郷用水は左側の府中崖線の上を流れ、世田谷領と六郷領に至る用水路です。

狛江は狛江古墳群と呼ばれるほど、段丘上に古墳がたくさん造られました。これは東京都史跡の兜塚古墳。6世紀前半の築造で円墳と考えられているものの、帆立貝形の古墳の可能性もあるそうです。


住宅地の真ん中に取り残されたようになってしまった、亀塚古墳にも立ち寄りました。


フィールドワークも最終の泉龍寺に。良弁僧正が天平神護元年(765年)に創建したとされています。本堂、鐘楼門、山門が一直線に並ぶ配置で、江戸時代の様式を今に伝えています。江戸名所図会でも紹介されている名所です。


隣接する弁財天池は、良弁僧正が雨乞いをした際に湧き出したといわれる霊泉で、豊かな水量により狛江地域の水田を潤してきましたが、現在は地下水をポンプでくみ上げています。清水川の水源です。


ゴールの狛江駅前の緑地は泉龍寺の旧境内地でした。現在は狛江弁財天緑地保全地区として貴重な自然が残っています。再開発された駅前との対比が見事です。

2018年9月22日土曜日

新潮講座 多摩モノレール・多摩丘陵篇

9月15日(土)の新潮講座は、多摩モノレール4回シリーズの第一回目。多摩センター駅をスタートして、多摩ニュータウンの町並みと多摩よこやまの道を楽しみました。

あいにくの雨模様でしたが、8キロと結構歩きました。

多摩ニュータウンは1965年に事業決定。この地図は1964年のため、開発前の地形を見ることができます。

この地図は1980年です。1970年代になると、諏訪(第5住区)・永山(第6住区)・貝取(第7住区)・豊ヶ丘(第8住区)・落合(第9住区)に入居が始まりました。

1999年の地図。さらに落合(第10住区)・鶴牧(第11住区)に建物ができています。多摩モノレールは翌年の2000年に多摩センター駅が開業しました。

多摩モノレールは多摩センターから町田方面に向けて延伸計画があります。軌道が通る予定の道路が多摩モノレール通りです。

雨のため多摩中央公園も閑散でした。。

青木葉天満宮近くの谷戸。多摩ニュータウンの中でも昔の面影が残っている所があります。

平(びり)久保公園にある樹齢500~600年のスダジイ。東京都の天然記念物に指定されています。圧倒されます!

南多摩尾根幹線道路を渡り、多摩よこやまの道に。この付近は現在多摩市ですが、1973年に町田市から編入されました。

多摩よこやまの道は、唐木田から若葉台まで約10キロにわたり整備されています。古代に国府(府中)から見て多摩丘陵の尾根が横になって見えたことが名前の由来です。万葉集で「多摩の横山」と歌われました。

尾根道、分水嶺となっているのがよくわかります。

ここは鎌倉裏街道。新撰組の近藤勇や土方歳三が歩いたと言われています。よこやまの道は他の古道が交差したり縦走していました。

豊ヶ丘のニュータウンに戻ってきました。

かつては賑わいがあった商店街。

このあたりは歩車分離となっていて、下の道路に降りることなく歩行者用道路を歩いて移動ができます。

パルテノン多摩に到着。歴史ミュージアム展示室では、多摩丘陵の開発や多摩ニュータウンの誕生などが常設展として展示されています。興味ある方は是非。

次回の新潮講座は万願寺駅から高幡不動尊まで、多摩川と浅川の沖積地を歩きます。