2019年5月4日土曜日

【報告】多摩ニュータウン諏訪・永山・貝取を歩く

4月27日(土)に開催した「多摩ニュータウン諏訪・永山・貝取を歩く~地形を活かした歩車分離のまち~」の報告です。


永山駅から多摩センター駅まで、多摩ニュータウンの諏訪・永山団地や貝取団地を中心に多摩よこやまの道を少し歩きました。


明治期の迅速測図。乞田川が北東に流れ、南北には細い谷戸が幾筋もあります。


明治39年測図。谷戸には田んぼ、乞田川周辺には集落がある様子が見られます。


昭和41年改測。地図の範囲外ですが、東方向に桜ヶ丘の住宅が、西方向に府中カントリーができました。多摩丘陵に開発の波が押し寄せてきた時期です。

昭和50年ニ改。1960年代に多摩ニュータウン計画が具体化し、1971(昭和46)年に諏訪・永山団地の入居が始まりました。永山駅は小田急線が1974(昭和49)年6月、京王線が1974(昭和49)年10月の開業です。永山駅が開業するまでは、聖蹟桜ヶ丘駅や鶴川駅までバスで行かなくてはならず、しかも大渋滞で大変だったそうです。

昭和58年修正。多摩センター駅前広場の完成が1980(昭和55)年、貝取・豊ヶ丘・落合等の地区に入居が進んだ様子がわかります。多摩ニュータウンは多摩丘陵の東西に長く計画されました。また南北に長く刻まれた谷戸を基本に住区が構成されています。

平成5年修正。多摩パルテノンが1987(昭和62)年に開業、サンリオピューロランドが1990(平成2)年に開園しました。

永山駅をスタートし、かえり橋を渡ります。駅の周辺は岩ノ入沢と呼ばれる谷地形になっています。

永山駅の東。京王線と小田急線が仲良く並んでいます。

諏訪地区に入るとブリリア多摩ニュータウンの大きさに圧倒されます。多摩ニュータウンの最初の建て替え事例として2014(平成23)年に完成し注目されました。5階建て23棟の団地が11・14階建て7棟になりました。団地というと高齢者が多いというイメージがありますが、ここには児童館もあり若い家族も多く住んでいます。

初期入居の諏訪団地が地形に沿って建てられているのが印象的です。

ブリリア多摩ニュータウンの中の崖を下ります。かつての階段でしょうか、歩きたくなりますね。

永山地区に入ります。

永山北公園に。多摩ニュータウンの公園には、小規模な街区公園、中規模な近隣公園、大規模な地区公園があり、初期の開発では街区公園と近隣公園が各住区の中に配置されています。

永山駅前に残る里山、さえずりの森の雑木林。

永山ハイツ。多摩ニュータウン開発は歩道と車道を分離するという近隣住区という考え方がベースになっています。谷に架かる橋がいたる所にあるため、車道に降りることなく歩くことができます。

永山団地の西から貝取谷戸の眺め。改変されたとはいえ、かつての地形の面影が色濃く残っています。

永山名店街と、
諏訪名店街。初期入居と同時の1971(昭和46)年にオープンしました。開発により土地が買収された方々も商店主になりました。

中諏訪橋から諏訪の谷通りを望みます。

電車見橋から永山駅方面。電車は諏訪北公園下のトンネルを通過します。

南多摩尾根幹線道路(写真右側)。多摩ニュータウンの南側を東西に結ぶ幹線道路です。当初は40~50mの道路として計画されましたが、住民運動もあり現在は片側1車線のみで開通しています。団地沿いの側道は車両進入禁止です。

多摩よこやまの道。多摩丘陵の尾根筋に全長10キロわたり整備されています。古道・史跡・伝説が残る歴史ある道です。

防人見返りの峠から多摩ニュータウンの眺望。北九州で兵役についた東国の防人が故郷を振り返りながら、家族との別れを惜しんだ場所といわれます。

多摩ニュータウンに戻り、タウンハウス永山を歩きます。

瓜生緑地。細長い瓜生谷戸の谷頭部にあります。

瓜生谷戸に架かるさんかく橋。下の道は鎌倉街道です。

貝取北公園の西側には中世の鎌倉古道の上道が通っていました。

貝取山緑地を下ります。写真左はグリーンヒル貝取。昭和40年代後半から環境への関心が高まり、多摩ニュータウンでも自然地形を残す開発が行われるようになりました。

麦花塚。貝取出身の歌人の和歌などが刻まれた石碑や、区画整理により集められた庚申塔などがあります。

念仏供養板碑。

1470(文明2)年の造立とのこと。大切にされています。

乞田川に出ました。改修工事中。右からは貝取谷戸を流れてきた貝取川が合流。


貝取谷戸の高台にある貝取神社に。

さらに豊ヶ丘方面に斜面を上ると、

乞田川の谷の向こうに愛宕団地が聳える絶景です。

ヒルサイドテラス豊ヶ丘の横の道を下ります。

吉祥院。とても落ち着いた寺院です。多摩ニュータウンの開発により受け入れた多くの石仏があります。

サンリオピューロランドの建物を見て多摩センター駅で解散しました。

多摩ニュータウンも初期入居から約50年が経過しました。当初は不便で土がむき出しでしたが、今や緑豊かな環境になっています。今後も多摩ニュータウンの動向に目が離せませんね。

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