2019年4月28日日曜日

新潮講座 調布篇

4月21日(日)の新潮講座・調布篇のレポートです。

京王線西調布駅をスタート、府中崖線沿いから北に向かい旧甲州街道を調布駅まで歩きました。

いつもの今昔マップ、明治39年測図。南から多摩川、水田、府中崖線、桑畑、旧甲州街道とわかりやすい地形と土地利用です。地図の真ん中あたりに「波毛」という地名があります。現在の調布市郷土博物館付近で府中崖線に切れ込んだ小さな谷=ハケがあります。

大正6年測図。地図の右上、旧甲州街道の北側に京王電氣軌道と書いてあるのがわかります。京王線は昭和2年に甲州街道の南側に移設されました。

昭和7年要修。多摩川の砂利運搬を目的として、調布駅から分岐した路線ができました。1916(大正5)年には、現在の京王多摩川駅より北側に多摩川原駅が開業しました。遊園地とあるのは1927(昭和2)に開業した京王閣。演芸場や大浴場、大食堂等がある一大レジャーランドで「東京の宝塚」とも称されたそうです。

現在の東京オーヴァル京王閣には痕跡がほとんど残っていませんが、ボート池の形が当時のままです。現在はボートはありませんが。(多摩武蔵野スリバチ学会のフィールドワーク時の写真)

昭和28年資修。多摩川に向かって直線の道路ができています。鶴川街道の新道で、1935(昭和10)年に念願の多摩川原橋が完成しました。

現在の多摩川原橋は2006(平成18)年に架け替えられた二代目です。初代の橋名板のモニュメントが京王閣に隣接した玉川苑・石の広場に保存されています。(下見時の写真)

昭和41年改測。鶴川街道の西側にゴルフ練習場がありますが、これはかつての砂利採掘跡地です。多摩川河川敷での砂利採掘が制限されてからは、多摩川の近くで採掘されるようになり、あちこちに砂利穴ができました。東宝調布スポーツパークや府中のボートレース多摩川はその跡地です。

1961年の空中写真でもよくわかります。

昭和51年二改。1971(昭和46)年に京王線が京王よみうりランド駅まで延伸されました。

西調布駅をスタートして南に歩いていくと旧品川みちの看板があります。この道は、武蔵国国府の府中・大國魂神社と品川や六郷付近を結んだ古道で、いききの道・筏道とも呼ばれました。

上石原若宮八幡神社。近藤勇が生まれた上石原村の鎮守です。1868(慶応4)年、甲陽鎮撫隊を率いて上石原宿に到着した近藤勇は、この神社の方角に拝礼し戦勝祈願したと伝えられています。本殿は総けやき造りで、左側に天岩戸開き、右側に素戔嗚尊とヤマタノオロチの彫刻があります。

神社は府中崖線の段丘崖の上に鎮座しています。崖下を流れるのは根堀川です。かつては崖下のいたる所で水が湧き出していて、ワサビ田も作られていたそうです。

はけ道仲よし広場の崖。5~6mの崖が続いていきます。崖上の道がハケ道です。

鶴川街道の石原橋からの眺め。

調布市郷土博物館。建物内外にいろいろな展示があり興味深いです。

映画俳優の碑。向こう側に調布映画発祥の碑があります。1934(昭和9)年に日本活動冩眞(日活)多摩川撮影所(後の大映、現在の角川大映スタジオ)が誕生、1954(昭和29)年には中央映画撮影所が、また旧日活が映画製作を再開して新たに撮影所を設立しました。日活関係者が暮らす住宅街の日活村もできて、調布の多摩川周辺は映画産業の町として「東洋のハリウッド」と呼ばれるようになりました。

大魔神がお出迎え。

古天神公園。ここに式内社である布多天神社の旧社がありました。1477(文明9)年に多摩川の洪水を避けるために現在の調布ヶ丘1丁目に移転したといわれます。旧石器から縄文時代の遺跡や、鎌倉から江戸時代にかけての墓が発見されています。

羽毛下通りを歩きます。ハケは「波毛」や「羽毛」等、いろいろな字がありますね。

下布田遺跡。南関東では数少ない縄文時代晩期の遺跡として1987(昭和62)年に国の史跡に指定されました。土偶・石剣・石冠等の呪術的遺物や遺構が出土されています。この近くには下布田古墳群と呼ばれるほど沢山の古墳がありました。崖線沿いは日当たりもいいし、崖下には水があるしと暮らしやすかったのでしょうね。

石垣が綺麗です。

住宅街の峡谷。

府中崖線から北に。京王線布田駅の近くにある円福寺。創建年代は不詳ですが、鎌倉で創建され武田信玄が中興したと伝えられます。鎌倉から多摩川沿いに移転し、1624(寛永元)年に当地に移転したといいます。

國領神社。この藤の木は樹齢が約4500年といわれ「千年乃藤」として知られています。この日は二分咲き位でした。國領神社は國領神社(第六天社)と神明社の二社を合祀した神社です。もともとは多摩川のほとりにありましたが、江戸時代初期に常性寺の旧甲州街道沿いへの移設に伴い、第六天社は現在の八雲台1丁目に、神明社は現在の國領神社の地に遷座しました。その後第六天社の場所に都営住宅が建設されることになり、現在地に遷座し神明社と合祀しました。

常性寺。鎌倉時代に多摩川沿いに創建したと伝えられています。慶長年間に旧甲州街道沿いの現在地に移転、成田山新勝寺より成田不動尊を勧請して中興したといわれ、調布不動尊と称されています。

境内には1878(明治11)年に敷石を寄付した布田五宿の貸座敷業20名を記載した敷石碑や、馬頭観音等があります。

旧甲州街道の布田五宿は、東から国領宿・下布田宿・上布田宿・下石原宿・上石原宿と東西に約3キロの長い宿場から成り立っていました。五宿となったのは一宿では宿場に義務づけられている伝馬機能(人馬継ぎ立て)を果たせられないため、1ヶ月の30日を6日ずつ務めることにしたためです。また常性寺がある交差点付近にかつての京王電氣軌道が通っていたそうです。

蓮慶寺。池上本門寺の末寺で徳川家光より御朱印地が下賜され、御朱印寺として赤門の設立と住職の乗駕が許されました。1979(昭和54)年に老朽化した赤門を復興し、旧赤門の冠木門を遺産として保存しました。

次回の新潮講座は5月19日(日)の町田篇、玉川学園前駅から町田駅までです。

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