2019年12月10日火曜日

【報告】まいまい東京・羽村ツアー

2019年12月7日(土)に、「まいまい東京」さんのツアーで羽村に行ってきました。

まいまい東京さんのツアーということで、まいまいず井戸から始まり、河岸段丘、玉川上水、羽村取水堰が主なコースでした(カシミール3Dにパレットで色塗り)。

大正10年測図(今昔マップより)。青梅鉄道(現在の青梅線)西側、多摩川に近い河岸段丘に集落が集まっています。桑の記号が多く見られるように、羽村は養蚕のまちとして栄えました。

昭和41年測図(今昔マップより)。青梅線東側の桑畑は、区画整理されて工場が増えてきた様子がわかります。

まずは羽村駅のすぐそば、五ノ神のまいまいず井戸に。かたつむりのような渦を巻いた通路があるスリバチ状の井戸で、鎌倉時代に掘られたといわれます。

スリバチの底に井戸があります。深い井戸を掘ることができなかった時代のもので、このような井戸は他に、青梅市新町の大井戸や埼玉県北入曽の七曲井などがあります。

牛坂通り。1741(正徳4)年にまいまいず井戸を修理した際に、井戸に積む丸い石を多摩川から牛にひかせて運ばせたといわれます。

緩やかな坂を下ると、まっすぐな道が多摩川方面から東に向かっています。この道路の下に玉川上水から村山貯水池に向かう導水管があります。

宗禅寺の薬師堂。たまたま居合わせたご住職に解説していだきました。薬師堂は寛正年間(146065年)頃からあり、多摩川に流れ着いた一本の流木から作られた伝えられます。宗禅寺は堂坂下で創建されましたが、多摩川の洪水や玉川上水の工事のため1695(元禄八)年に現在地に移転したとのことです。

堂坂。石垣の上を通る奥多摩街道から10mくらい下ります。

堂橋から見た玉川上水。台風の影響で奥多摩にある石灰が溶けて流れ込んでしまい、白濁しているとのこと。→ 小平市のホームページより

玉川上水第三水門。羽村取水堰から取水された多摩川の水はここから村山貯水池に向かいます。

右奥に見えるのが、羽村橋の大けやき。樹齢400年とも600年ともいわれます。

羽村取水堰に着きました。その美しい景観から「羽衣の堰」とも呼ばれています。投渡堰は今でも水道施設として機能していて、2014(平成26)年には土木学会選奨土木遺産に認定されました。

玉川上水開削の功労者、玉川庄右衛門・清右衛門兄弟の像。1653(承応2)年に四谷大木戸までの約43キロを掘削しました。

第一水門。取水された水は、四谷大木戸まで標高差約92mを自然流下しました。

第二水門。水量多めです。

和菓子の山田屋さんで休憩。羽村のお饅頭やお団子、とても美味しかったでした。

禅林寺の山門。はっきりと見えませんが、天井に雨乞いのときに水をかけたといわれる竜の絵が描かれています。

本堂裏の崖上には、未完の長編小説として知られる『大菩薩峠』の作者で、羽村生まれの中里介山の墓があります。稲荷神社、お寺坂の途中にある馬の水飲み場、旧鎌倉街道を歩いて羽村駅にゴール。

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