2019年12月6日金曜日

【報告】清瀬~柳瀬川の河岸段丘と清戸の小さな谷を歩く~

11月23日(土)の「清瀬~柳瀬川の河岸段丘と清戸の小さな谷を歩く~」の報告です。

JR武蔵野線新秋津駅から柳瀬川右岸を歩いて西武池袋線清瀬駅までのコースです。カシミール3Dより作成しました。

明治期の迅速測図。志木街道沿いに畑、柳瀬川沿いは水田という土地利用がわかります。

大正6年測図(今昔マップより)。野塩・中里から中清戸・上清戸を歩きました。

昭和41年改測(今昔マップより)。野塩団地、中里団地と住宅が少しずつ増えてきました。志木街道沿いは大正期と大きく変化はなさそうです。

昭和51年二改(今昔マップより)。武蔵野線が開業して秋津周辺に住宅が広がってきました。

「秋津のお不動様」として親しまれてきた秋津神社。

残念ながらこの日は一日中、雨模様。境内裏手の崖下にある秋津公園もこの通り。

秋津神社の下には武蔵野線と西武池袋線との連絡線が通っています。神社手前の道路を見てもわかります。

西武池袋線秋津駅は東京都と埼玉県の境界として知られています。駅前近くのこの道路は、東京都東村山市と埼玉県所沢市の都県境。

塩団地は昭和30年代の建設。野塩は、野塩西原遺跡や野塩前原遺跡があることから古くから人々が住んでいました。

空堀川に架かる梅坂橋。この近くに梅坂という坂がありますが、悲しい伝説がある橋のようです。詳しくはこちらを→梅坂橋

空堀川。長雨が続き、この日も雨で水量が多かったでした。

清瀬せせらぎ公園は、空堀川の旧流路を整備してできたものです。地下水を活用した流れとなっています。梅坂橋から清瀬市下宿までを中心に、柳瀬川と空堀川沿いに柳瀬川回廊が整備されています。

空堀川から続く清瀬中里緑地保全地域。カタクリの群生地です。

中里の富士塚に着きました。江戸時代に富士山信仰が盛んになり各地に富士塚が築かれましたが、中里の富士塚は1825(文政8)年の築造といわれます。都の有形民俗文化財に指定されています。

柳瀬川の河岸段丘の景色。

金山調節池は、柳瀬川の改修工事の一環として洪水対策を目的に整備されたものです。湧水が池に流れこんでいて、カワニナや小魚をたくさん見ることができます。

いつもはバードウォッチャーで賑わっていますが、雨でカワセミとコサギものんびりと。

柳瀬川の水量も多いです。

昭和40年代建設の台田団地が柳瀬川沿いに続いていきます。

柳瀬川を離れて台地の上に。今日の次のテーマが武蔵野台地に刻まれた小さな浅い谷、清瀬駅から柳瀬川に向かって続いています。

東京都清瀬地盤沈下観測所がありました。各地で観測された地盤沈下状況が報告書として発表されています。→地盤沈下調査報告

谷沿いから離れて中清戸の畑に。諸説ある「清瀬」の名前の由来ですが、「清戸」の『清』と「柳瀬川」の『瀬』とも言われています。清瀬らしい「農」の風景ですね。

日枝神社は上清戸、中清戸、下清戸の総鎮守でした。敷地内には水天宮があり、清戸の地名の由来となったひいらぎ伝説の木があります。

けやき通りを横切る浅い谷。谷を辿って清瀬市郷土博物館からゴールの清瀬駅に歩きました。

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