2020年11月21日土曜日

【報告】新潮講座・小金井の仙川篇

毎月第3日曜日の午後は、新潮講座・多摩武蔵野スリバチ地形散歩。11月15日(日)は小金井市の中央線北側をご案内しました。

中央線の武蔵小金井駅から東小金井駅まで8キロ強の行程、仙川の浅い谷と小金井分水、そして玉川上水まで歩きました。

武蔵小金井駅から北に歩いていくと暗渠らしき雰囲気の道。これは小金井分水です。

小金井分水は江戸時代の元禄年間に玉川上水から分水されて、小金井村の生活用水や灌漑用水として利用されました。写真右側が小金井分水跡、道路左側は戦前の陸軍技術研究所の敷地跡です。

読みにくいですが「陸軍」と書いてある境界石杭が残っています。頭の部分だけ出ている状態の杭です。

山王稲穂神社、下小金井新田開発の鎮守として山王社(日枝神社)を勧請したものです。武蔵小金井駅開設の記念碑があります。

鳥居のすぐ南に小金井分水が流れていて、その先は仙川の谷です。

山王窪の築樋。江戸時代の土木遺構で、小金井分水が山王窪と呼ばれる仙川の低地を越えるために築かれた土手です。

仙川が築樋をくぐっています。

窪地から見た築樋。

仙川沿いに続く浅い谷。小金井市を流れる仙川は普段、水の流れを見ることがなく雨が降ると水が流れることから「悪水」と呼ばれました。小金井市には、枝久保・山王窪・小長久保・亀久保という窪地の地形を表す地名が残っています。

仙川は小金井街道付近は暗渠となり、ここでまた開渠になります。

谷を上ると尼寺の三光院があります。

また谷に下りて上久保橋からの仙川。

また坂を上り大尽の坂に。坂の名前は、明治時代に醤油屋や質屋を営む鴨下荘左衛門の屋敷があったことに由来するそうです。

武蔵野台地の尾根筋を流れる玉川上水が近いです。写真は砂川用水、1870(明治3)年に玉川上水から取水していた11ヶ所の分水口が、この砂川用水に付け替えられました。さらに梶野分水から深大寺用水につながっていきます。

いい雰囲気。

浴恩館公園に。浴恩館は、1928(昭和3)年に京都御所で行われた昭和天皇の即位式で神官の更衣所の建物を、財団法人日本青年館が下賜を受けて1930(昭和5)年に開館しました。現在は小金井市の文化財センターとして利用されています。

仙川がすぐ近くを流れています。

玉川上水に。関野橋。

この付近は桜の名所。玉川上水の桜並木は、江戸時代の元文年間に押立村の名主川崎平右衛門を中心に、現在の武蔵野市から小平市にかけての東西6キロに植樹されました。江戸近郊の桜の名所となり、大正時代には国の名勝に指定されました。

玉川上水から見た仙川方向の谷。手前は砂川用水。

砂川用水は梶野分水につながります。梶野分水は1732(享保17)年に許可された玉川上水の分水です。

小金井分水の山王窪の築樋と同じく、築樋があります

写真の奥、仙川が梶野分水をくぐっています。

築樋の東側はこのような雰囲気になっています。

小金井市の仙川は結構蛇行しています。

梶野新田鎮守の市杵島神社。神社の東西南側を蛇行して仙川が流れていて、小高い土地に鎮座しています。

神社東側の仙川方向を見ると、小高い地形になっているのがわかります。向こうに見える松は1869(明治2)年に御門訴事件で捕縛された若者が、無事帰って来たことを記念して植えたものです。

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