渋谷町水道は、大正末期に水不足が深刻になった渋谷町に多摩川の水を送るために敷設された町営水道です。砧下(きぬたしも)浄水所から駒沢給水所まではポンプで押し上げられ、駒沢給水所から渋谷町までは高低差を利用して自然に流れるようにしました。
三軒茶屋のキャロットタワーから砧下浄水所まで。蛇崩川の谷から荏原台の台地、谷沢川・谷戸川などの河川を越えて多摩川までのまっすぐなコースです。
明治42年測図(今昔マップより)。三軒茶屋南側に軍事施設がありますが、西側の方は一面の農村風景が広がっています。
昭和4年二修(今昔マップより)。澁谷水道、澁谷水道路と載っているのが確認できます。
昭和20年部修(今昔マップより)。整然と区画整理された住宅地が広がってきました。
昭和41年改測(今昔マップより)。国道246号(玉川通り)の新道が開通。
昭和51年二改(今昔マップより)。首都高速3号渋谷線と東名高速道路が開通、路面を走っていた玉電は東急新玉川線として地下に開通しました。
集合場所の三軒茶屋にあるキャロットタワーの26階展望台から東方面の眺望。左手が新宿、右手が渋谷の高層ビル群、渋谷の向こうには東京スカイツリーが見えます。
話題の渋谷スクランブルスクエアのビルが見えます。右手に東京タワーも。
左手にまっすぐに続く道が水道みちで、小さく駒沢給水塔も見えます。右手の線路は東急世田谷線。
世田谷通りから、いよいよ水道みちに入っていきます。
電信柱は水道支線。
蛇崩川の谷に入ります。
振り返るとキャロットタワーがそびえています。
水道みちと蛇崩川の暗渠が交差しています。ここから水道みちと蛇崩川緑道が並行しています。いつもなら暗渠の方を歩くのですが、今回のテーマは水道みちなので左の道を歩きます。
環七を渡ると駒留というバス停があります。近くにある駒留八幡神社にも寄らずひたすら水道みちを歩きます。
荏原台の台地をのぼります。淀橋台と同じく下末吉面に区分される段丘面です。
振り返るとまだキャロットタワーが。一直線ですね。
水道用地の境界杭。新旧の境界杭があちこちにあります。
荏原台の高台に着きました。標高は46m。
この高台にあるのが駒沢給水塔。2棟がトラス橋で結ばれていて、世田谷区の地域風景資産に選定、(社)土木学会の選奨土木遺産に認定されています。
駒沢給水塔風景資産保存会の代表・副代表さんに解説して頂きました。駒沢給水塔風景資産保存会は「コマQ」の愛称で、近代建築遺産・土木遺産の駒沢給水塔とその風景の広く知ってほしいと活動しています。ホームページはこちら→コマQ
塔の上には王冠のような装飾球があり、都民の日などに点灯されます。
今年の正月に撮影した写真。とても素敵です。
駒沢給水塔は、現在でも災害時用として水が溜められています。
さらに水道みちを歩いて玉川通りの旧道に出ます。
桜新町駅に。撮りたかったのは、サザエさん一家の像の向こうに見える呑川の暗渠です。大山道(新道)と品川用水は、呑川水系と目黒川水系(蛇崩川)の間の狭い分水嶺を通っていました。
明治期の迅速測図でもその様子がわかります。古道と用水は谷や窪地を避けて高い所を通り、自然河川は低い所を流れるという理論通りです。
さらに水道みちを歩きます。手前の大山道(新道)と右からの大山道(旧道)が合流する大山道追分。水道みちはまっすぐ続きます。
瑜伽山真福寺。諸説ありますが、鎌倉時代にヨガ道場があり、用賀の地名の由来となったという説があります。
無量寺。観音堂があり「用賀の観音様」と呼ばれます。境内は大イチョウなど木々が多く、せたがや百景に選定されています。
環八を渡ると谷沢川の暗渠があります。まだまだまっすぐ。
渋水102と刻まれた境界杭。
水道みちは谷戸川の谷に向かいます。
この坂の地下を水道管が通っています。ポンプの圧力は凄いですね。
谷戸川。
岡本隧道の北側に。
谷戸川の谷から階段を上ります。
台地の上に鎮座する岡本八幡宮。隣りにはかつて岩崎別邸だった静嘉堂文庫があります。岡本静嘉堂緑地には湧水もあるのでおすすめです。
急階段の参道は、国分寺崖線。
途中には水道用地の境界杭。
この石灯籠は松任谷正隆・由実ご夫妻が寄進したもので、お名前が刻まれています。
岡本隧道の南側は「岡本隧道」と表示されています。半円のように見えますが、扉の中は高さ2m、幅2.5mのトンネルで直径80㎝の送水管が通っていて、トンネルの長さは120mあるそうです。
岡本民家園。江戸後期の典型的な農家の家屋が再現されていて、世田谷区の有形文化財第1号として指定されました。
六郷用水。丸子川とも次太夫堀とも呼ばれます。
多摩川低地の鎌田前耕地緑道に。
野川水道橋。2006(平成18)年に架け替えられるまでは、このように歩道の横に水道管が渡っていました。
砧下浄水所に到着。現在でも現役で稼働しているためセキュリティが厳重。かつての玉電砧線の線路跡の道路を歩いて解散場所のバス停に向かいます。
バス停は旧砧本村駅の近くで、ベンチなどは駅で使用していたものとのこと。
バス停でいったん解散しましたが、浄水所南側の多摩川堤防に導水管の空気弁でしょうか、赤い三角の蓋が印象的な構築物があります。これを見るために多摩川沿いを歩いて二子玉川駅に向かいました。
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