2018年4月1日日曜日

仙川と石神井川の源流部を歩く

3月31日(土)に開催した「仙川と石神井川の源流部を歩く」の報告です。
標高50mラインの湧水地とともに、標高70mラインも湧水地があることで知られています。その中でも仙川と石神井川の源流部に着目して歩いてきました。


コースはJR中央線国分寺駅をスタート、中央線の北側を歩いて武蔵小金井駅がゴール。


明治期の地図は一面の畑ですが、石神井川の谷には水田マークがありますね。


国分寺市では1955年に日本初のロケット水平発射実験が行われました。実験場所は現在の早稲田実業学校がある所、戦時中は中央工業南部工場でした。JR国分寺駅北口から「日本の宇宙開発発祥の地」顕彰碑がある早稲田実業学校に続く歩道上に、12種類のマンホールが設置されています。


『東京「スリバチ」地形散歩 多摩武蔵野編』にも出ている長谷戸のスリバチビュー。国分寺崖線から切れ込んでいる谷です。


しばらく歩いていくと国分寺市・小金井市・小平市の境界、境界マニア必見のトリプルジャンクション!

目印になるものがなかなかありませんが。。

目的地のひとつ、仙川の源流部にある東京サレジオ学園さんです。

東京サレジオ学園さんに事前にお願いして敷地内をご案内頂きました。同学園は1946年に設立された歴史ある児童養護施設で敷地内に約100人が生活しています。多摩陸軍技術研究所の跡地であるこの地には1947年に移転して来ました。敷地内の建物や設計は「吉田五十八賞」等の賞を受賞している素敵なものです。

仙川の源流部、草原と呼ばれているところ。土地は一部改変されていますが窪んでいる様子がわかります。大雨が降ると水が溜まるそうです。東京サレジオ学園さんには大変お世話になりました。

北上し砂川用水を越えて玉川上水に。玉川上水は武蔵野台地の尾根筋を開削し1654年に完成しました。分水嶺を境に仙川は多摩川水系、石神井川は荒川水系となります。

玉川上水からは30を超える分水が引かれて乏水の武蔵野台地を潤しました。これは田無用水にある石橋供養塔。

田無用水。この付近は回田新田として江戸時代の享保年間に開発されました。現在の東村山市廻田町を親村とする新田です。

またここには戦時中、陸軍経理学校がありました。陸軍経理学校からの排水が経理排水として石神井川に流されました。解説をして頂いたスペシャル参加の本田創さん。石神井川源流部の動脈と静脈のような水のネットワークについては、本田創さん著「東京暗渠学」を是非お読みください!http://www.yosensha.co.jp/book/b308372.html

小平市鈴木遺跡資料館に寄りました。農林中央金庫グラウンドから発掘された地層が展示されています。熱心な解説に一同感激!

鈴木遺跡は1974年に鈴木小学校建設時に発見されました。石神井川の谷頭部にあたり3万年から1万年前までの旧石器時代の大規模な遺跡です。当時は湧水が豊富で人々が住むには暮らしやすい場所だったとのことです。写真右の壁は新小金井街道。

鈴木小学校には古代の泉と名付けられた可愛い湧水の池があります。

石神井川源流部に作られた武蔵野団地という住宅地を抜けると、また経理排水があります。ここは何とも言えない趣きがあります。

小金井カントリー倶楽部の手前には駐車禁止の文字。これは下見の時の写真で、当日は駐車していた車が。。

また玉川上水の南側に戻ると小金井分水があります。明治初期に玉川上水の通船の関係から取水口が砂川用水からとなりました。この写真も下見の時のものです。

小金井分水は小金井村を網の目のように流れて水をもたらしました。流末は野川に流れ込んでいたり、梶野新田分水から深大寺用水までつながってもいました。現在では住宅街を縫うように残っています。

小金井分水は仙川の谷を越えないと小金井村に水を引くことができませんでした。そこで築かれたのが、山王窪の築樋と呼ばれる土手。全長約102m、高さ約5.4mあったと記録されています。ここも『東京「スリバチ」地形散歩 多摩武蔵野編』に載っています。


ゴールが近くなってきました。武蔵小金井駅北口のここも小金井分水。今回のフィールドワークは仙川と石神井川の源流部を歩くというタイトルでしたが、川ばかりでなく江戸時代の用水も含めて、武蔵野台地と水の関係を触れるものとなりました。

次回は5月12日(土)に、八王子の絹の道と鮎の道を歩きに行きます。フェィスブック、ブログで告知します。お待ちしています!

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