5月26日(土)に開催したフィールドワーク「西荻窪から荻窪へ~標高50mライン番外編その1」の報告です。
午後スタート。中央線西荻窪駅から荻窪駅まで、主に中央線の北側を11キロ歩きました。カシミール3Dの地図では標高50mがベージュと緑、標高45mは緑とグレーの境目です。微地形ですが複雑な地形になっています。
明治の迅速測図では、まだ中央線(当時は甲武鉄道)は開通していません。ほとんど畑か田んぼですね。
昭和初期の地図。関東大震災後は、町並みが荻窪駅や西荻窪駅周辺に広がってきた様子がわかります。
スタートは中央線西荻窪駅近くにある松庵川の暗渠を遡上。松庵川は善福寺川の支流で、地元では大宮大下水溝とか大宮前大下水と呼んでいました。
写真の周辺は松庵窪(男窪)と呼ばれる水源のひとつで、標高約50mです。中央線を北側に越えてさらに松庵川を遡ると松庵窪(女窪)の水源にたどり着きます。松庵窪は甲武鉄道敷設のための土取場が池になったともいわれます。
松庵川源流部から台地を少し歩くと善福寺川に着きます。善福寺川は善福寺池が水源ですが、その他に千川上水から高度処理水が流れていたり、また湧水も健在で写真は原寺分橋下の湧水です。皆さんが歩いているあたりが標高約45mです。
しばらく善福寺川沿いを歩きます。カルガモの親子がいました。
善福寺川の右岸に丸山という周囲より小高い丘があります。城山とも呼ばれ源義家が陣したことが名前の由来です。明治期まで鬱蒼とした雑木林で七ツ井戸と呼ばれた井戸があったそうです。
荻窪八幡神社に着きました。旧上荻窪村の鎮守で1100年ほど前の創建と伝えられ、太田道灌が石神井城に進撃する際に植えた道灌槇があります。
道路を挟んで、懐かしいアニメが楽しめる杉並アニメーションミュージアムがあります。建物の杉並会館の設計は、かつてのソニービルの設計でも知られる芦原義信氏です。
建物前から善福寺川方面のゆるいスリバチビュー。
青梅街道を渡った所にあるURや桃井原っぱ公園は旧中島飛行機発動機の工場で、かつてはゼロ戦のエンジンの設計・製造をしていました。現在は災害時の拠点を兼ねた公園になっています。
ここからは井草川や妙正寺川の支流で、現在は暗渠になっている所を歩いていきます。
皆さんが見ているのが杉並区の暗渠でよく見かける金太郎の車止め。写真は下見の時のもので上の写真と場所は違います。
観泉寺に着きました。戦国武将の今川家にゆかりのあるお寺で今川家累代のお墓があります。今川家の子孫は江戸時代にこの地を知行地として給されました。この周辺が今川と呼ばれるのもそのためです。
庭が素敵ですね。ゆっくりしたくなりますが先を急ぎます。
妙正寺川の桃井支流暗渠を歩いて妙正寺池につきました。周辺は小さなスリバチ地形になっていて標高は40mほどです。亀の甲羅干しを撮影する皆さん。
妙正寺川スタート地点の落合橋。落合橋は井草川と落ち合うので着いた名前でしょうか。妙正寺川は延長約9キロ、新宿区下落合で神田川に合流します。
ここから南下して天沼方面に向かいます。途中にあった六差路。古い道に新しい道が作られた結果できたものですね。
道といえば日大ニ高通りは古代の東海道ルートとの説があり、この付近に乗潴駅があったといわれます。
天沼弁天池公園。明確なスリバチ地形ではありませんが桃園川の水源です。この周辺は天沼地下水堆と呼ばれて地下水位が高く水の湧きやすいところです。現在の池は涸れてしまって人工のものです。
桃園川の暗渠を歩きます。桃園川は灌漑用水としては水量が少なかったこともあり、六ケ村分水から助水されていました。井伏鱒二が通っていた蔦の湯の跡地が追分用水跡の暗渠沿いにあります。
中央線をくぐり青梅街道の天沼陸橋交差点。右が天沼陸橋で左が旧道です。旧道には1960年代前半まで都電杉並線が走っていました。現在は道路下に地下鉄丸ノ内線が通っています。
西郊旅館・西郊ロッヂング。戦前に建てられた賄いつきの高級下宿で、現役の旅館と賃貸住宅です。解散は明治天皇荻窪御小休所跡でした。
次回は6月9日(土)、「深大寺と丸池~標高50mライン番外編その2」です。参加したい方はフェイスブックか、このブログでご案内しています。お気軽にどうぞ!
フェイスブック→https://www.facebook.com/events/208423879963361/
当サイトは、多摩武蔵野スリバチ学会のブログ「多摩武蔵野ランブリング」です。ランブリングとは「歩くことが主な目的ではなく様々な趣味をするために歩く」というスリバチ学会に相応しい言葉です。 多摩武蔵野の変化に富んだ地形や景観等の紹介や、多摩武蔵野スリバチ学会のフィールドワークの告知や当日の様子などを投稿していきます。
2018年6月3日日曜日
2018年6月2日土曜日
【フィールドワークのお知らせ】2018年6月9日(土) 深大寺と丸池
6月9日(土)のフィールドワークのお知らせです。
今回は武蔵野台地・標高50mラインのフィールドワークとして、深大寺と仙川の丸池周辺に行きます。
深大寺は皆さんご存知の通り、多摩武蔵野地域を代表する古い寺院で、国分寺崖線に切れ込んだ谷に位置しています。豊富な湧水と深大寺そばが有名ですね。また深大寺城址や水生植物園、神代農場など地形の見所が沢山あります。
一方、丸池がある一帯はかつて千釜と言われるほど水が湧き出ていて、仙川の名前の由来になっています。付近には勝渕神社や天神山砦等の見所があります。標高50mに着目して深大寺や丸池を歩くと、また違った風景が見えてきますよ。お待ちしています!
【開催概要】
日程:2018年6月9日(土)
集合時間:10時00分
集合場所:京王線柴崎駅上り改札を出た所に一旦お越し下さい
※下り改札を出た場合は踏切を渡って下さい
※改札付近は狭いので、現地で別途集合場所にご案内します。
昼食休憩:深大寺でたっぷりと
解散場所と時間:京王線つつじヶ丘駅近くで17時頃
参加費:200円(資料印刷代+保険代)
参加ご希望の方は、下記Facebookのイベントページにて参加ボタンを押すか
または、suribachitama@gmail.com までご連絡ください。
↓Facebookイベントページ↓
https://www.facebook.com/events/208423879963361/
◆ルート(予定)スタート(柴崎駅)→京王線旧路線跡・野川→マセ口川→祇園寺→野草園→深大寺(昼食休憩)→水生植物園・深大寺城址→青渭神社・神代農場脇→深大寺用水東掘→大王道→丸池・勝渕神社→天神山砦→春清寺→中仙川暗渠→ゴール(つつじヶ丘駅)
・小雨決行、荒天の場合は別途お知らせします。
・いつもの通り15キロ程度歩きますが、お時間合えば是非お越しください。お待ちしています!
今回は武蔵野台地・標高50mラインのフィールドワークとして、深大寺と仙川の丸池周辺に行きます。
深大寺は皆さんご存知の通り、多摩武蔵野地域を代表する古い寺院で、国分寺崖線に切れ込んだ谷に位置しています。豊富な湧水と深大寺そばが有名ですね。また深大寺城址や水生植物園、神代農場など地形の見所が沢山あります。
一方、丸池がある一帯はかつて千釜と言われるほど水が湧き出ていて、仙川の名前の由来になっています。付近には勝渕神社や天神山砦等の見所があります。標高50mに着目して深大寺や丸池を歩くと、また違った風景が見えてきますよ。お待ちしています!
【開催概要】
日程:2018年6月9日(土)
集合時間:10時00分
集合場所:京王線柴崎駅上り改札を出た所に一旦お越し下さい
※下り改札を出た場合は踏切を渡って下さい
※改札付近は狭いので、現地で別途集合場所にご案内します。
昼食休憩:深大寺でたっぷりと
解散場所と時間:京王線つつじヶ丘駅近くで17時頃
参加費:200円(資料印刷代+保険代)
参加ご希望の方は、下記Facebookのイベントページにて参加ボタンを押すか
または、suribachitama@gmail.com までご連絡ください。
↓Facebookイベントページ↓
https://www.facebook.com/events/208423879963361/
◆ルート(予定)スタート(柴崎駅)→京王線旧路線跡・野川→マセ口川→祇園寺→野草園→深大寺(昼食休憩)→水生植物園・深大寺城址→青渭神社・神代農場脇→深大寺用水東掘→大王道→丸池・勝渕神社→天神山砦→春清寺→中仙川暗渠→ゴール(つつじヶ丘駅)
・小雨決行、荒天の場合は別途お知らせします。
・いつもの通り15キロ程度歩きますが、お時間合えば是非お越しください。お待ちしています!
2018年5月28日月曜日
新潮講座 久我山~吉祥寺篇
5月19日(土)の新潮講座・多摩武蔵野スリバチ地形散歩は、武蔵野台地の標高50mライン歩きの2回目として、京王井の頭線の久我山駅から吉祥寺までのコースでした。その時の様子をまとめましたのでご覧下さい。
いつものようにログです。久我山駅から井の頭公園まで約7kmでした。緑とグレーの境が標高50m、ベージュと緑の境が標高55mです。
明治期の地図を見ると集落は現在の人見街道や連雀通り、または五日市街道沿いにあることがわかります。短冊状の地割は江戸時代に新田開発された地域で、現在の区画は当時にその骨格が作られたことがわかります。
スタートの井の頭線久我山駅を西方向に行くと神田川沿いに暗渠がずっと続きます。
昭和20年の航空写真を見ると、神田川沿いに田んぼが続いています。
神田川の谷を見下ろすように小高い台地の上に久我山村の鎮守、久我山稲荷神社があります。
神田川の右岸(写真左)は三鷹市、左岸(写真右)は杉並区。三鷹市側の旧流路を少し歩くことができます。
杉並区の暗渠ではお馴染みの、金太郎の車止めがありました。状態はいいですね。
三鷹市と杉並区の境界です。
野性味のある階段がありました。
玉川上水を溯った所に架かっている東橋からの眺め。結構深いです。玉川上水は右岸(写真左)の小高くなった丘の北側に沿って流れています。
この風景には足が止まりますね。
牟礼にあるこの小高い丘は牟礼残丘と呼ばれ、かつて多摩川がこのあたりを流れていた時代に削り残されたものです。高番山とも呼ばれたのどかな風景が気持ちいいです。
昭和20年の航空写真。牟礼残丘は流線形の形が特徴的です。丘の北縁を北西から南東にかけて流れているのが玉川上水、丘の南側は牟礼田んぼです。玉川上水はこの付近で羽村堰から28~30キロの地点です。地形の勾配を巧みに利用して開削された玉川上水、江戸時代の土木技術に感嘆します。
玉川上水に架かる宮下橋。三鷹台駅前通りを下っていくと神田川が流れています。人工の用水は高い所を流れ、自然の河川は低い所を流れていることを実感できます。
道路を下って脇に入っていくと神田川支流の暗渠があります。
このあたりは神田川支流の暗渠が複雑になっています。
また玉川上水に戻ります。ここは新橋の近くです。
玉川上水から井の頭公園西園に入ります。未舗装の道がありますが牟礼用水(牟礼分水)の跡です。
牟礼用水の取水口。牟礼用水は三鷹台団地の辺りにかつてあった牟礼田んぼ(先ほどの航空写真)に水を供給する目的で、1745年(延亨2)に玉川上水から分水されました。
井の頭弁財天に向かいます。参道入口にある標石は「神田御上水源井頭辨財天」と彫られています。井の頭弁財天は神田上水の水神であり、また弁財天は音楽や芸能の守護神ということもあり、江戸町人に信仰されました。また景勝地として江戸からの行楽として人気がありました。
現在では、井の頭公園や井の頭弁財天へ行くには、中央線の吉祥寺駅南口から行きますが、江戸時代から大正時代にかけては弁財天の参道から行きました。参道は大いに賑わっていたそうです。
現在の参道の周囲は閑静な住宅街。
弁財天の石段の上に石灯籠がいくつかあります。奉納した江戸商人などの名前が彫られています。
井の頭弁財天。縁起では関東源氏の祖である源経基の創建で、源頼朝や新田義貞が戦勝祈願をしたとされています。最近は外国人の姿も多く見かけます。
標高50mラインを代表するスリバチ状の地形の井の頭池。かいぼりが終わって池の水はきれいでした。かいぼりは外来種の駆除や水質浄化のために平成25年度から2年おきに実施しています。
平成29年度のかいぼりの様子です。水が抜かれて池底が見えていますが、池の真ん中に水の流れがあります。これは湧水の流れです。井の頭池の湧水は涸れてしまったと言われていましたが、かいぼりにより湧水が健在であることがわかりました。
いつものようにログです。久我山駅から井の頭公園まで約7kmでした。緑とグレーの境が標高50m、ベージュと緑の境が標高55mです。
明治期の地図を見ると集落は現在の人見街道や連雀通り、または五日市街道沿いにあることがわかります。短冊状の地割は江戸時代に新田開発された地域で、現在の区画は当時にその骨格が作られたことがわかります。
スタートの井の頭線久我山駅を西方向に行くと神田川沿いに暗渠がずっと続きます。
昭和20年の航空写真を見ると、神田川沿いに田んぼが続いています。
神田川の谷を見下ろすように小高い台地の上に久我山村の鎮守、久我山稲荷神社があります。
神田川の右岸(写真左)は三鷹市、左岸(写真右)は杉並区。三鷹市側の旧流路を少し歩くことができます。
杉並区の暗渠ではお馴染みの、金太郎の車止めがありました。状態はいいですね。
三鷹市と杉並区の境界です。
野性味のある階段がありました。
神田川から玉川上水に向かいます。これは旧牟礼橋。どんどん橋とも言います。昔の玉川上水は水量が豊富で、音をたてて流れることに由来すると言われます。橋の下部はレンガ造りです。後方は工事が進んでいる東八道路。
玉川上水を溯った所に架かっている東橋からの眺め。結構深いです。玉川上水は右岸(写真左)の小高くなった丘の北側に沿って流れています。
この風景には足が止まりますね。
牟礼にあるこの小高い丘は牟礼残丘と呼ばれ、かつて多摩川がこのあたりを流れていた時代に削り残されたものです。高番山とも呼ばれたのどかな風景が気持ちいいです。
昭和20年の航空写真。牟礼残丘は流線形の形が特徴的です。丘の北縁を北西から南東にかけて流れているのが玉川上水、丘の南側は牟礼田んぼです。玉川上水はこの付近で羽村堰から28~30キロの地点です。地形の勾配を巧みに利用して開削された玉川上水、江戸時代の土木技術に感嘆します。
牟礼残丘の標高約60mの高台にある牟礼神明社。小田原北条氏の家臣である北条種継(牟礼の高橋氏の祖先)が1537年(天文6)、扇谷上杉家の家臣が拠る難波田弾正の深大寺城に対峙する砦として築かれました。当時はさぞかし武蔵野台地の原野を一望できたでしょうね。
玉川上水に架かる宮下橋。三鷹台駅前通りを下っていくと神田川が流れています。人工の用水は高い所を流れ、自然の河川は低い所を流れていることを実感できます。
道路を下って脇に入っていくと神田川支流の暗渠があります。
このあたりは神田川支流の暗渠が複雑になっています。
また玉川上水に戻ります。ここは新橋の近くです。
玉川上水から井の頭公園西園に入ります。未舗装の道がありますが牟礼用水(牟礼分水)の跡です。
牟礼用水の取水口。牟礼用水は三鷹台団地の辺りにかつてあった牟礼田んぼ(先ほどの航空写真)に水を供給する目的で、1745年(延亨2)に玉川上水から分水されました。
井の頭弁財天に向かいます。参道入口にある標石は「神田御上水源井頭辨財天」と彫られています。井の頭弁財天は神田上水の水神であり、また弁財天は音楽や芸能の守護神ということもあり、江戸町人に信仰されました。また景勝地として江戸からの行楽として人気がありました。
現在では、井の頭公園や井の頭弁財天へ行くには、中央線の吉祥寺駅南口から行きますが、江戸時代から大正時代にかけては弁財天の参道から行きました。参道は大いに賑わっていたそうです。
現在の参道の周囲は閑静な住宅街。
弁財天の石段の上に石灯籠がいくつかあります。奉納した江戸商人などの名前が彫られています。
井の頭弁財天。縁起では関東源氏の祖である源経基の創建で、源頼朝や新田義貞が戦勝祈願をしたとされています。最近は外国人の姿も多く見かけます。
標高50mラインを代表するスリバチ状の地形の井の頭池。かいぼりが終わって池の水はきれいでした。かいぼりは外来種の駆除や水質浄化のために平成25年度から2年おきに実施しています。
平成29年度のかいぼりの様子です。水が抜かれて池底が見えていますが、池の真ん中に水の流れがあります。これは湧水の流れです。井の頭池の湧水は涸れてしまったと言われていましたが、かいぼりにより湧水が健在であることがわかりました。
かいぼり期間中に開催される池底ツアーなどのイベントで池底に降りることができます。池底の武蔵野礫層から水が湧いているのを間近に見ることができますよ。
次回の新潮講座は6月16日(土)に、千歳烏山から久我山にかけての標高50mラインを歩きます。
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