2021年2月23日火曜日

【報告】新潮講座・多摩センター~聖蹟桜ヶ丘 篇

2月21日(日)の新潮講座は、多摩センターから聖蹟桜ヶ丘までご案内しました。

多摩センター駅から北上、京王線の聖蹟桜ヶ丘駅がゴールの約8キロ(私のログでは)。

京王相模原線多摩センター駅の改札を出たところの天井がとても綺麗。

東京都埋蔵文化センターは残念ながら休館中、外から遺跡庭園「縄文の村」の復元住居を見ることができました。

吉祥院。青木葉川のほとり久保ヶ谷の近くにあり、山号を唐沢山(とうたくさん)といいます。

乞田川。乞田という名前は、領民が領主に田を乞うたというのが由来といわれます。

支流の青木葉川が注ぎ込みます。

かつて谷戸根と呼ばれた地区、谷戸というよりも現在の愛宕団地の麓に窪んでいるような感じです。写真左の階段を上ります。

階段上からの眺望。こんもりした山は豊ケ丘北公園。

愛宕東公園。写真の向こうにはジブリアニメ『耳をすませば』のモデルとなった愛宕団地の給水塔。

愛宕の山を越えて和田に、多摩丘陵の中に平坦な土地が広がっている所です。鎌倉街道が通っていたと伝えられ、地名などにその名残りがあります。この通りは、恋路原(こいじっぱら)通り。

大栗川支流が流れる小さな谷になっています。この先は鎌倉沢というようです。

稲荷塚古墳。7世紀前半(古墳時代後期)の築造と推測される珍しい八角墳。この付近は和田古墳群と呼ばれる都内でも有数の古墳群があります。ほとんどは墳丘が削平され、墳丘が確認できる古墳は少ないようです。

サミット。店舗の近くに日野の百草村の飛び地があります。また周辺には貝取村の飛び地も。

先ほどの小河川の流れの続き。このあたりは女沢と呼ばれたようです。

庚申塚古墳。周辺を削られています。

これから向かう入道谷戸方面からの大栗川支流の流れ。

細長い小さな谷になっていて、かつては水田として利用されていたようです。

山神社。1557(弘治3)年に壽徳寺の境内に創建し、寺方村の鎮守社だったといわれます。

壽徳寺。入道谷戸と呼ばれる谷戸の中にあり、室町時代の1390(明徳元)年に念阿護法和尚によって開かれました。本堂の裏手、住宅地に囲まれて谷戸が残されています。

桜ヶ丘ロータリー。ここも『耳をすませば』の聖地で、環状交差点(ラウンドアバウト)が知られています。

桜ヶ丘住宅は、60年代に当時の京王帝都電鉄により造成、分譲されました。幅の狭い尾根筋の両側に閑静な住宅が広がっています。西側からは百草、帝京大学方面が望めます。

東側は連光寺と聖ヶ丘方面。桜ヶ丘公園にある旧多摩聖蹟記念館の建物が見えました。

関戸城天守台跡。周辺は、1333(元弘3)年の新田義貞と北条泰家が戦った分倍河原・関戸合戦や、足利尊氏と新田義興との武蔵野合戦などの舞台として知られています。城郭というよりは物見台だったようです。

金比羅宮。桜ヶ丘住宅の開発により旧地から現在地に遷座しましたが、周辺は江戸名所図会にも描かれるほどの景勝地で、旧地には物見の松という老木が聳えていました。ここも『耳をすませば』のモデル地です。

いろは坂通りの階段を下ります。『耳をすませば』の聖地巡礼をされる方を多く見かけました。

いろは坂桜公園から大栗川、聖蹟桜ヶ丘駅方面がよく見えます。

あらいぐまラスカルのマンホール。駅近くにもありますので、是非探してみてください。

大栗川。乞田川もそうですが昔はかなり蛇行して流れていましたが、河川改修でご覧のように直線化されました。




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