毎週第三日曜日の午後は新潮講座、10月18日(日)は拝島駅の西側エリアをご案内しました。
今回は多摩川が造り出した河岸段丘歩き、距離は長めの8キロほどでした。拝島駅は武蔵野台地の立川面上にあり、駅北口には玉川上水、南口には立川面と拝島面の段丘崖がすぐ近くにあります。
明治39年の地図(今昔マップより)
昭和12年の地図(今昔マップより)
昭和41年の地図(今昔マップより)
1974年の空中写真(カシミール3Dより)
この日は前日の雨もあがり薄曇り、拝島駅から笠雲がかかった富士山がよく見えました。
拝島駅は昭島市と福生市の市境に位置しています。JRの改札を出てすぐ右側にアキシマクジラをモチーフにしたステンドグラスがあります。
左側には福生七夕まつりをモチーフにしたステンドグラスがあります。両方とも鮮やかでとても綺麗です。
横田基地への引込線。燃料輸送のため現在でも使われているそうです。
日光橋。旧日光街道に架かっていて、国内で現存する最古の道路レンガアーチ橋です。橋の下を見ると真ん中にレンガが積まれているのが見えます。
東京環状の武蔵野橋から。電車がやって来るのが八高線、真ん中が青梅線、左が五日市線です。地形的にいえば、八高線が立川面を、青梅線が拝島面を走り、五日市線が多摩川の沖積地に向かうことになります。
これは五日市線。
1974年の空中写真を拡大してみると、みずくらいど公園(写真真ん中上)の堀跡から続いていると思われるような跡が確認できます。
アパート名にも痕跡が!
五日市線のすぐ横にあった解説版、これは初めて見ました。堀跡は草木が生い茂っていてよくわからず。
玉川上水は、水喰土堀跡のすぐ北側を流れています。
水の流れは、拝島面から立川面に上がってくるので、この付近では深く掘られています。
清水坂でパチリ。
熊川の町を流れる熊川分水。1890(明治23)年の開削で、熊川村の生活用水や灌漑用水、また酒造・製糸業の工業用水として利用されました。流末は、どうどうの滝から下の川に合流します。
みずくらいど公園。水喰土というのは、玉川上水の水がここで土中に吸い込まれしまったことに由来します。玉川上水の失敗堀に関する話しは、この福生の水喰土と府中のかなしい坂が知られています。
玉川上水は、水喰土堀跡のすぐ北側を流れています。
鍋ヶ谷戸交差点の近くにある森田製糸場跡地。森田製糸場は、1873(明治6)年に東京府初の大規模製糸工場で、最盛期には従業員が400人にもなりました。その後、片倉工業が継いで戦時中は軍需工場に、戦後は片倉自転車として自転車の生産を行っていました。
用水の流れが熊川の町を彩っています。
熊川神社。その起源が平安時代にまで遡る古社です。幕末までは礼拝大明神と称していましたが、1870(明治3)年に熊川神社と改称しました。本殿は東京都指定有形文化財、福生市登録有形文化財となっています。また一社で七福神の参拝ができます。
下の川緑地せせらぎ遊歩道公園の展望広場。奥多摩方面の山々がよく見えます。
サマーランドが見えました。
下の川緑地せせらぎ遊歩道公園。下の川の流れが崖下に続いています。崖下は多摩川沖積地。
石川酒造に。1863(文久3)年の創業で、1880(明治13)年に現在地で酒蔵を建築しました。多満自慢を始めとしたお酒の仕込み水は、150mまで掘削した井戸から中硬水を汲み上げています。また本蔵、新蔵、土蔵、長屋門等が国登録有形文化財です。
長屋門。
スバル360。
南稲荷神社と福生市天然記念物の大けやき。南稲荷神社の参道は、けやきの根を痛めないように盛り上がっています。
どうどうの滝。熊川分水の流れはここで下の川に注ぎこみます。段丘崖を流れ落ちるため滝のようになってるのですが、昨年の台風19号の影響で遊歩道に下りれず、また上からもその流れがよく見えませんでした。
拝島駅に戻る途中、東京環状を渡ると開渠の拝島分水を見ることができます。拝島分水はほとんどが暗渠区間ですが、一部拝島大師などでその流れを見ることができます。
昭島市に入りました。昭島市のマンホールはアキシマクジラ。
段丘崖の拝島分水暗渠。
拝島駅前まで続きます。
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