2019年1月18日金曜日

中央線シリーズ・荻窪から阿佐ヶ谷まで

1月12日(土)に開催した「中央線シリーズ・荻窪から阿佐ヶ谷まで」の報告です。
荻窪駅から「の」の字を書くように、阿佐ヶ谷駅までの約10キロの行程でした。


明治期の迅速測図。まだ甲武鉄道がない地図です。旧下荻窪村・旧天沼村・旧阿佐ヶ谷村、江戸時代は田んぼと畑の純農村地帯でした。


明治42年測図。当時の水田や樹林等の土地利用や集落の様子がよくわかります。荻窪駅は1891(明治24)年に開設、当初は南口のみでした。


大正6年測図・大正8年鉄補。まだ関東大震災前で明治期と大きな変化はありません。


昭和2年修正・昭和4年ニ修。関東大震災と区画整理により、東京都心から人々が移り住んできました。阿佐ヶ谷駅は1922(大正11)年の開設、天沼陸橋は1955(昭和30)年の完成です。地図をよく見ると青梅街道上に軌道マークがありますが、西武軌道(その後の都電杉並線)です。1962(昭和37)年に営団地下鉄荻窪線が延伸となり、1963(昭和38)年に廃止された路線です。


集合場所の旧中田家の長屋門。明治天皇が行幸した際に休息所として利用された御小休所が長屋門の隣りにあります。


荻窪駅南側エリアからスタート、善福寺川の高野ケ谷戸支流の暗渠を歩いて大田黒公園に。


大田黒公園は、日本最初のクラシック音楽の評論家といわれる大田黒元雄氏の屋敷跡を回遊式庭園として整備して、1981(昭和56)年に開園しました。茶室や記念館に当時の様子を見ることができます。2016(平成28)年に記念館と蔵が国の登録有形文化財となりました。

さらに暗渠道を歩いて、


あげ堀を歩くと、角川庭園です。


角川庭園は、角川書店の創設者で俳人の角川源義氏の旧邸宅です。近代数寄屋造りの建物は、2009(平成21)年に国の登録有形文化財に登録されました。

近くには昭和戦前期に首相を務めた近衛文麿の別邸、荻外荘があります。重要な会談や決定が行われた場所として、2016(平成28)年に国の史跡に指定されました。当初は大正天皇の侍医であった入澤達吉の別邸として伊東忠太が設計した建物です。荻窪は都心から近いうえ善福寺川沿いの南側斜面日当たりもよく、昭和初期に別荘ができました。


善福寺川に架かる忍川橋(おしかわ、以前はしのびかわばしと呼ばれていました)。すぐ上流には忍川上橋があります。付近は忍ケ谷戸(しのびがやと)と呼ばれる小さな谷戸地形となっています。「忍」という言葉から連想されるように、ここには伊賀忍者が住んでいたという伝説がありましたが、参加された地元の方のお話しによると伝承の域とのことでした。


光明院に向かいます。四面道からの谷をJR中央線が築堤で越えています。


JR中央線と環八通りを超えて光明院に。通称「荻寺」と呼ばれ、荻窪の地名の由来となったお寺です。伝承では、708(和銅元)年に諸国を行脚していた行者が背負っていた仏像が突然重くなったので、この付近に茂る荻で草堂を造って安置したのが始まりといわれます。明治時代に境内を甲武鉄道が通ることになり本堂は移転され、現在でも線路の南側に墓地があります。


JR中央線築堤の北側は、荻窪の名前の通り窪地です。

旧下荻窪村鎮守の荻窪白山神社。

1957(昭和32)年に建設された杉並公会堂は、音響設備が優れた最先端のホールとして「東洋一の音楽の殿堂」と呼ばれたそうです。ウルトラマン誕生のプレートがありました。ウルトラマン第一話放送に先立ち、PRイベント番組が杉並公会堂で収録されたとのことです。

四面道の交差点を渡り、妙正寺川清水口支流の暗渠に。

さらに妙正寺川本天沼支流暗渠に入っていきます。

いい雰囲気の杉並区らしい暗渠が続きます。

旧天沼村の鎮守、本天沼稲荷神社。

稲荷神社裏の暗渠。地元から参加された方のお話しでは、昭和40年代初めは川の流れがあったそうで、ここに橋が架かっていたとのことです。

三峯神社と厳島神社がある三角地帯隣りの道もかつての川です。

暗渠沿いにある蓮華寺は室町時代の開創と伝えられ、馬頭観音石像や宝筐印塔等が境内に安置されています。写真は弁財天堂。

静かで印象的な庭園。

早稲田通りから松山通りに。この道はかつての阿佐ヶ谷道、いくつかのルートがある鎌倉街道です。桃園川の暗渠を越えます。

阿佐ヶ谷村鎮守の阿佐ヶ谷神明宮。日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、後に村人が旧社地の「お伊勢の森」に神明宮を勧請したのが始まりといわれます。

神明宮の北側は桃園川に至る坂道、阿佐ヶ谷の地名の由来といわれる浅い谷です。

桃園川の暗渠に入ります。本流と支流が入り乱れた迷宮に方向感覚がなくなります。

暗渠が続きます。

阿佐ヶ谷弁天社。東側の駐車場がかつてひょうたんの形をした池だったそうです。

江戸時代の名主相沢家の欅屋敷。屋敷林を含む土地が都の旧跡として指定されています。駅近くに立派なお屋敷が残されていることに驚きます。

阿佐ヶ谷駅に到着。次回の中央線シリーズは年内の予定、阿佐ヶ谷から高円寺までです。お楽しみに!

次回のフィールドワークは2月9日(土)、世田谷区の用賀から桜上水へ、住宅街に隠れた地形の「何か」を確認しに行きます。

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