布田道と多摩よこやまの道のそれぞれ東半分ほど、川崎市麻生区、町田市と多摩市を歩きました。
迅速測図でも多摩丘陵の尾根を歩いたのがよくわかります。古道は尾根筋を通っています。
昭和41年の地図でもあまり変化はありませんね。
昭和50年になると多摩市で多摩ニュータウンの開発が始まり、諏訪と永山地区に入居が始まりました。
昭和58年。多摩センターの駅も開業して、多摩ニュータウンの開発が急ピッチで進んでいるのがわかります。
スタートは小田急多摩線の黒川駅。
まず向かったのは汁守神社。少し変わった名前のこの神社は府中の大國魂神社(六所宮)へ汁物を調える役目をしていたそうです。ちなみに古道に詳しい方のお話ではこの近くに飯守神社があるとのこと。調べてみると町田市真光寺町にありました。大國魂神社に御食を司っていたとのことです。
丘陵の山裾の道を行きます。秋の深まりを感じます。
しばらくすると柿生発電所がありました。川崎市水道導水路の途中にある12mの落差を利用した小さな水力発電所です。
道沿いにある地神塔などの石仏。
黒川の谷戸から入った所にある毘沙門天堂。明治初期に廃寺になった金剛寺の跡地だといわれ、廃仏毀釈によるものか首のない石仏がありました。
稲刈りが終わった黒川の谷戸です。秋の多摩の谷戸らしい風景。
布田道(尾根道)に入ります。布田道は調布の布田五宿と小野路宿を結んでいました。江戸時代、小野路宿から甲州街道を経由して江戸に向かう近道として利用され、新撰組の近藤勇や土方歳三、沖田総司なども布田道を経由して小野路へ行ったとされます。
尾根を通っているため眺望がよく、遠く横浜や町田方面が見えます。
古道らしい道が続きます。右側は神奈川県川崎市麻生区、左側は東京都町田市の県境でもあります。
布田道は、突然目の前に現れる西東京変電所に行く手を阻まれてしまいます。
やむなく迂回します。
谷戸に鉄塔が乱立している珍しい風景に遭遇します。
迂回中。
布田道とはお別れし、北上して多摩よこやまの道を目指します。途中にある東京都水道局小野路給水所。
谷戸の素晴らしい里山風景に皆さん感嘆!遠く大山も見えます。
古道五差路で多摩よこやまの道に出ました。五差路の確認をしております。
しばらく古代東海道(推定)に沿った尾根道が続きます。
国士館大学多摩キャンパスにあるコンビニで休憩。左の道は南多摩尾根幹線道路。この辺りは多摩川水系と鶴見川水系の分水嶺となる尾根筋です。
再び多摩よこやまの道に戻ります。多摩よこやまの道は、多摩丘陵の尾根筋を通っていて、武蔵国府の府中から眺めると尾根が水平に見えることから、万葉集で「多摩の横山」と詠まれました。鎌倉古道や奥州古道、古代東海道(推定)などが横断または縦走する交通の要衝です。布田道同様に多摩の歴史にロマンを感じる全長約10キロで道です。
しばらく歩くと、分倍河原合戦(1333年)前夜に鎌倉幕府軍が野営した地と推定される付近に出ます。案内板がわかりやすいです。
九州へ向かう防人が故郷を振り返ったといわれる防人見返りの峠。多摩ニュータウンや秩父連山が一望できる場所です。
瓜生黒川往還と交差します。この道を行くと黒川駅に出ます。
小田急多摩線と京王相模原線の上を通ります。
多摩よこやまの道の東端、丘の上広場に着きました。多摩の古道を日本遺産にという活動があるようです。今回は東半分だけでしたが、確かにいにしえの人になった気分で歩ける古道です。今回行かなかった西半分も企画したくなりました。
次回は11月24日(土)に聖蹟桜ヶ丘駅から関戸と連光寺に行きます。
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