2018年10月29日月曜日

「ひばり文化祭」開催中

西武池袋線ひばりヶ丘駅前の「ひばりが丘PARCO」さんが、今年開店25周年。記念イベントの「ひばり文化祭」が11月4日(日)まで開催中です。11月3日(土)には「ひばりが丘エリアのスリバチ地形」を話しますので、よろしければお越しください!
https://hibarigaoka.parco.jp/page/bunkasai/

2018年10月27日土曜日

新潮講座 多摩モノレール・沖積地篇

10月20日(土)の新潮講座は、多摩モノレールシリーズの2回目でした。

万願寺駅から高幡不動駅まで。主に多摩川と浅川に挟まれた沖積地を歩き、土方歳三ゆかりの場所もいくつか巡りました。

明治期の迅速測図。水田の中の微高地にかつての村々があります。

昭和4年鉄補、1925年(大正14)玉南電気鉄道開通とともに高幡駅が開設。駅の位置は現在地より70m西側だったそうです。1937年(昭和12)高幡不動駅に改称されました。


昭和50年改測、高幡不動尊近くの丘陵地に住宅地が開発されています。浅川の北側も住宅が増えてきましたが、町並みに大きな変化はない様子がわかります。


平成11年部修、多摩モノレールが延伸開業したのが2000年(平成12)。万願寺駅周辺の町並みに変化があります。


空中写真で見た区画整理事業前と区画整理事業後。その変化がよくわかります。これは事業前の空中写真、昔からの集落と田んぼ、くねくねした道が広がっています。

最新の空中写真、真ん中に国道20号のバイパスが開通し、広い生活道路に整然とした住宅街、公園が整備されました。

スタートは多摩モノレール万願寺駅。ホームに注目!

ホームから多摩丘陵方面の風景。
区画整理された住宅地と畑の中を流れる上田(かみだ)用水。

とうかん森。土方歳三の生家だった地です。生家は洪水により現在の土方歳三資料館に移築されました。

石田寺(せきでんじ)。

土方歳三の墓所として知られています。

浅川を渡る多摩モノレール。

旧新井村。旧石田村と同様、土方姓が多いです。

土方歳三資料館。第一と第三日曜日に開館。土方歳三のご子孫が住まわれています。生家では石田散薬という薬の製造・販売をしていたそうです。

石明神社、浅川の堰に由来するともいわれます。石田寺もそうですが、多摩川と浅川がもたらした石との関係がありそうな名前です。

万願寺地区は区画整理事業により、真っすぐな道に整備されました。

安養寺。古刹で、阿弥陀如来坐像は東京都の重宝です。

江戸時代前期の面影がある本堂と客殿は見応えがあります。

大木島自然公園の中を流れている新井用水。

浅川にかかる、ふれあい橋。正式名は万願寺歩道橋。1991年の完成、それまでは高幡不動に行くには迂回しなければならず大変だったそうです。

浅川。真ん中に見えるのは向島用水取水堰です。

向島用水親水路です。コンクリート護岸を親水性のある用水にしました。

トンボ池は小学校の敷地にビオトープとして作られ、小学校の勉強の場ともなっています。

1995年に作られた水車があります。

若宮神社。かつての別旅(わかたび)村の別旅明神。

最後は高幡不動尊の丘陵地を少しだけ。

山内八十八ヶ所巡礼のコースがあります。四国の八十八ヶ所巡りになぞらえたものです。

高幡不動尊は国宝の不動堂や仁王門、新撰組ゆかりの資料などがある関東三大不動尊です。高幡城址や山内八十八ヶ所巡りも含めて、ゆっくりと訪れたい所です。

次回の新潮講座は、多摩モノレール・武蔵野台地篇として立川に行きます。


2018年10月16日火曜日

布田道と多摩よこやまの道

10月13日(土)に開催したフィールドワーク「布田道と多摩よこやまの道」の報告です。


布田道と多摩よこやまの道のそれぞれ東半分ほど、川崎市麻生区、町田市と多摩市を歩きました。


迅速測図でも多摩丘陵の尾根を歩いたのがよくわかります。古道は尾根筋を通っています。


昭和41年の地図でもあまり変化はありませんね。


昭和50年になると多摩市で多摩ニュータウンの開発が始まり、諏訪と永山地区に入居が始まりました。


昭和58年。多摩センターの駅も開業して、多摩ニュータウンの開発が急ピッチで進んでいるのがわかります。


スタートは小田急多摩線の黒川駅。


まず向かったのは汁守神社。少し変わった名前のこの神社は府中の大國魂神社(六所宮)へ汁物を調える役目をしていたそうです。ちなみに古道に詳しい方のお話ではこの近くに飯守神社があるとのこと。調べてみると町田市真光寺町にありました。大國魂神社に御食を司っていたとのことです。
丘陵の山裾の道を行きます。秋の深まりを感じます。


しばらくすると柿生発電所がありました。川崎市水道導水路の途中にある12mの落差を利用した小さな水力発電所です。


道沿いにある地神塔などの石仏。

黒川の谷戸から入った所にある毘沙門天堂。明治初期に廃寺になった金剛寺の跡地だといわれ、廃仏毀釈によるものか首のない石仏がありました。

稲刈りが終わった黒川の谷戸です。秋の多摩の谷戸らしい風景。

布田道(尾根道)に入ります。布田道は調布の布田五宿と小野路宿を結んでいました。江戸時代、小野路宿から甲州街道を経由して江戸に向かう近道として利用され、新撰組の近藤勇や土方歳三、沖田総司なども布田道を経由して小野路へ行ったとされます。


尾根を通っているため眺望がよく、遠く横浜や町田方面が見えます。


古道らしい道が続きます。右側は神奈川県川崎市麻生区、左側は東京都町田市の県境でもあります。

布田道は、突然目の前に現れる西東京変電所に行く手を阻まれてしまいます。

やむなく迂回します。

谷戸に鉄塔が乱立している珍しい風景に遭遇します。

迂回中。

布田道とはお別れし、北上して多摩よこやまの道を目指します。途中にある東京都水道局小野路給水所。

谷戸の素晴らしい里山風景に皆さん感嘆!遠く大山も見えます。

古道五差路で多摩よこやまの道に出ました。五差路の確認をしております。

しばらく古代東海道(推定)に沿った尾根道が続きます。

国士館大学多摩キャンパスにあるコンビニで休憩。左の道は南多摩尾根幹線道路。この辺りは多摩川水系と鶴見川水系の分水嶺となる尾根筋です。

再び多摩よこやまの道に戻ります。多摩よこやまの道は、多摩丘陵の尾根筋を通っていて、武蔵国府の府中から眺めると尾根が水平に見えることから、万葉集で「多摩の横山」と詠まれました。鎌倉古道や奥州古道、古代東海道(推定)などが横断または縦走する交通の要衝です。布田道同様に多摩の歴史にロマンを感じる全長約10キロで道です。

しばらく歩くと、分倍河原合戦(1333年)前夜に鎌倉幕府軍が野営した地と推定される付近に出ます。案内板がわかりやすいです。

九州へ向かう防人が故郷を振り返ったといわれる防人見返りの峠。多摩ニュータウンや秩父連山が一望できる場所です。

瓜生黒川往還と交差します。この道を行くと黒川駅に出ます。

小田急多摩線と京王相模原線の上を通ります。

多摩よこやまの道の東端、丘の上広場に着きました。多摩の古道を日本遺産にという活動があるようです。今回は東半分だけでしたが、確かにいにしえの人になった気分で歩ける古道です。今回行かなかった西半分も企画したくなりました。
次回は11月24日(土)に聖蹟桜ヶ丘駅から関戸と連光寺に行きます。